オートサロンに輸入車が続々と参入する裏事情 東京モーターショー欠席でも出展する理由
日本国内で「東京モーターショー」に次いで規模が大きい自動車イベント、「東京オートサロン」が1月10日から12日にかけて、千葉県の幕張メッセで開催された。3日間の来場者は33万6060人で、大幅増となり130万人を超えた東京モーターショー2020に比べると4分の1程度にすぎない。
しかし、東京モーターショーが10日間ほど開催されるのに対し、東京オートサロンの開催は、3日間だ。1日あたりの来場者は11万人と、昨年の東京モーターショーと同程度である。
また、前々回となる2017年の東京モーターショーにおける来場者数は10日間で77万人だった。1日あたりの来場者がその1.5倍と考えれば、東京オートサロンがいかに盛り上がるイベントかが、イメージできるだろう。
きっかけはR33型「スカイラインGT-R」
東京オートサロンは、チューニングカーやドレスアップカーなど「改造車」のイベントとして1983年に「東京エキサイティングカーショー」という名称でスタート。1987年開催の第5回から「東京オートサロン」と改名した。
当初は非合法の展示車両が多く、アンダーグランドな色合いが濃かったが、その方向を大きく変えることになったのが1995年の開催だ。
日産が自動車メーカーとして初めて参加し、その開幕にあわせて会場内で新型車を正式発表したのだ。発表された車種はR33型「スカイラインGT-R」である。
そもそもスカイラインGT-Rは、東京オートサロンが対象とするスポーツカー、そしてアフターマーケットや改造車を好む層との親和性が高く、メーカーもそこに便乗した形と言っていいだろう。東京オートサロン来場者にスカイラインGT-Rのファンが多く、日産はそんな人たちに強くアピールする決断をしたのだ。
また、その年(1995年)には規制緩和により道路運送車両法が改正され、それまで厳しく制限されていたクルマの改造が広い範囲で合法化された。その影響もあってカスタマイズブームが起き、クルマの改造マーケットが大きく広がった。
そんな追い風もあり、1990年代中盤から後半にかけては、日産だけにとどまらずトヨタ、ホンダ、スバル、マツダ、そしてズズキにダイハツと、日本の自動車メーカーが続々と参入するイベントへと成長していったのだ。
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