オートサロンがここまで成長できた歴史事情 かつての改造車ショーが今や市民権を得た
日本最大規模のカスタムカーの祭典、東京オートサロン2019(千葉県・幕張メッセ:2019年1月11~13日)は昨年以上の盛り上がりを見せ大盛況のうちに閉幕した。
主催者発表では、参加社数426社、出展車両906台、そして3日間の総入場者数は33万0666人(2018年は31万9030人)だった。
一方、2年に1度開催される東京モーターショー2019(東京ビッグサイト:2019年10月24日~11月4日)については、自動車業界関係者の中でいまから不安視する声が出ている。近年の入場者は2013年が90万2800人、2015年が81万2500人、そして2017年が77万1200人と減少の一途をたどっているからだ。
東京モーターショーは開催年によって開催日数が若干変わることもあり、総入場者数を単純に比較できないという声もある。だが、長年にわたり東京モーターショーの取材やイベントに関わる身としては、東京モーターショーの明らかな地盤沈下を肌身で感じている。フェラーリやランボルギーニなど派手なメーカーは出展せず、また日系メーカーからは将来の量産化を目指す夢のあるコンセプトモデルの出展が一気に減り、ショーとしての魅力が衰えてきたことを実感している。
なぜ東京オートサロンは盛況を維持できているのか? そこには複雑な自動車産業の裏事情が見え隠れする。
ハチャメチャだった改造車全盛期
まず、東京オートサロンの歴史を振り返ってみよう。
東京オートサロンの前身、東京エキサイティングカーショーが始まったのは1983年。当時から筆者は同ショー主催者である自動車関連出版社・三栄書房とは、同社が発行する『オートスポーツ』誌などを通じて関わりがあり、その後に東京オートサロンへと進化していった経緯についても詳しい。
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