オートサロンがここまで成長できた歴史事情

かつての改造車ショーが今や市民権を得た

1983年当時は、日本車の改造ブームの初期にあたる。日本で若者を中心に自動車への憧れが芽生えたのは1960年代半ばから1970年代初頭ごろまでの経済成長期だった。自動車メーカー各社は自動車レースを、走る実験室、または走る広告塔として活用した。それが、1970年代のオイルショックによってレースブームは一気に冷え込んだ。これとほぼ同時期に、レース関連に従事していた技術者などが、ターボチャージャー(過給機)などで改造した車両の部品を販売する事業を始めた。1970年代後半から1980年代初頭には、東京の渋谷や青山通りなどで自慢のクルマを見せ合ったり、公道での非合法なドラッグレース(直線路での加速を争うレース)を行ったりするようになった。

こうした流れを受けて、改造車を扱う自動車雑誌が増加。雑誌での露出を求めて、全国各地でエンジン改造のみならず、見かけの派手さを競う風潮が広がった。なかでも目立ったのが、水道管などを改造して数メートルの排気管(マフラー)を天高くそびえさせながら走行する、通称「竹ヤリマフラー」だ。

1990年代にはスポーティな量産車が多様化

こうした違法改造車の多くが、東京エキサイティングカーショーに集結。会場周辺では警視庁の警察官とのにらみ合いが続いた。

その後、1990年代に入ると、エンジンやサスペンションの改造のベース車となるスポーティな量産車が充実してきた。日産自動車はR32型の「スカイライン」やS14型の「シルビア」、三菱自動車は「ランサーエボリューション」、富士重工業(現在のSUBARU)は「インプレッサWRX」、そしてマツダのFD3S型「RX-7」などである。

こうしたクルマをベースに、改造部品メーカーや改造を請け負う自動車修理工場などが、当時の日本自動車研究所・谷田部試験場、または開通して間もない東京湾アクアラインでの300km/hアタックを実施し、さらに茨城県・筑波サーキットでのラップライムを競った。

スバルでは、STI関係者によるトークショーを実施(筆者撮影)

そして、地方の山間部や大都市の港湾地域などでは、自動車のタイヤを横滑りさせながらカーブを曲がるドリフト走行を楽しむために集う若者たちが増加した。そのほか、ミニバンブームによって、ボディを改造するエアロパーツも全国で乱立し始めた。

そうした各種の挑戦や遊びに興じる若者たちの実態や、さまざまな改造部品の性能評価を紹介するする記事、また谷田部やアクアラインでの最高速アタックの模様を実際に収録して書店やコンビニで販売されたビデオマガジンなどに憧れた若者が東京オートサロンに集まった。

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