いつも戦場。思い続ける力~再建・大不況・電気自動車--益子修・三菱自動車工業社長

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いつも戦場。思い続ける力~再建・大不況・電気自動車--益子修・三菱自動車工業社長

その1カ月前、益子修は思った。「この会社は潰れる」。

益子は2004年、三菱商事から海外担当常務として送り込まれていた。当時の三菱自動車は「リコール隠し」で満身創痍(そうい)。筆頭株主のダイムラーも逃げ出した。三菱グループが中心となってつぎ込んだ5000億円は年末には底を突いていた。

年明け4日の手形が落とせない。そうか、東証1部企業でも、資金繰り倒産することがあるのか--。

ジャカルタ大暴動 共感力と磁場

1カ月後、益子は三菱自動車の新社長に指名された。青天の霹靂(へきれき)だ。脳裏に浮かんだのは、インドネシアのあの光景だったかもしれない。

1998年5月、ジャカルタ大暴動の夜。8階のオフィスから市内を見渡すと、火の手がいくつも上がっている。日本人社員の家族を帰国させよう。前後を軍隊に守られ、家族を乗せたバスが空港に急行した。搭乗を見届けて、益子たちはジャカルタに戻る。帰りは軍隊の護衛はなし。「ノンストップで突っ走るぞ」。真っ暗闇を車がひた走った。

インドネシアは“戦場”だった。

75年、初めて駐在員となったのは戒厳令下の韓国だった。今度は、明日をも知れぬ会社の社長である。「何だか知らないけど、行くところ、ほとんど平時じゃないんだから」。

益子が社長に就任すると、バラバラになるはずの三菱自動車が一つにまとまり、2年後、1000億円を超える営業利益を稼ぎ出した。奇跡の復活である。もっとも、戦場のほうは簡単に益子を放してくれない。

昨年のリーマンショックで、自動車業界は「100年に一度」の大不況に。が、益子にかかると、「楽しいじゃない」となる。「楽しいと言うと語弊があるが、みんなが大変ということは、社会が大変化を求めている。会社も車も大きく変わるキッカケの年。前向きに考えればいい」。

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