“原発輸出”最前線のベトナムの村を歩く ズン首相「着工延期」発言のなぜ

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震災でも揺るがなかった原発計画

タイアン村が原発の建設場所に正式決定したのは2010年10月のことだ。ベトナムでは2009年に原発建設計画が国会で承認され、2030年までに全国で8カ所、計14基の原発を作るという国家プロジェクトを進めている。

ここまで第1、第2原発合わせて4基の原子炉建設が決定。それぞれロシアと日本が受注し、予定地はともにニントアン省である。日本が担当するのは第2原発で、タイアン村に100万キロワット級の原子炉2基を建設する計画である。事業規模は約1兆円。2021年の稼働開始を目指している。

周知のように、タイアン村に立地が決まった翌2011年、日本では東日本大震災と福島第一原発の事故が起こった。しかしながら、ベトナムが原発政策を大きく見直すことはなかった。日本が受注した第2原発についても予定地などの変更はしていない。

ベトナムの原発開発については、震災のはるか以前より日越2国間で話し合いが持たれていた。前自民党政権時代に始まり、民主党政権下では原発輸出を「新成長戦略」の柱に据え、政官民一体でベトナムに売り込んだ。現在の安倍政権もベトナムへの原発輸出政策は引き継ぐ形となっている。

今回の受注に際して、日本政府は原発事業への出資をはじめ、ベトナム人技術者約1000人の日本国内での研修、さらには政府開発援助(ODA)を通じてのインフラ整備など、見返りとしては存分な支援態勢をベトナム側に約束している。政権交代や、原発事故後の収束に迷走を続ける日本政府だったが、こと外国への原発セールスに関しては、一貫して積極的な意思を見せ続けてきたと言えるだろう。

ベトナム側も日本受注の姿勢を崩さなかった。震災後すぐに日本との協力関係の維持を表明。同年秋にグエン・タン・ズン首相が来日すると、当時の野田首相との間で一気に原発輸出の正式合意にまで至った。

ベトナムの原発導入とそこへの日本の参入は、結果的に日本の原発事故でも揺るがなかった。昨年秋の段階でも、日本が受注した原発については「計画どおりの建設」(ファム・ビン・ミン外相)。原発計画は着々と進行していると伝えられていた。

2014年までに原発導入可能性調査(FS)と住民移住などを終え、予定では今年中に第1原発、来年に第2原発の建設着工の運びだった。

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