「上野アメ横」年末の風物詩がいま抱える課題 外国人観光客、食べ物屋が増えて街が変化

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「アメ横センタービル」のようなビル内に入る店以外、アーケードがないアメ横は、天候や寒さなどに人出が左右される。

「2004年に150万人を割ったのは、天候不順の年だったからです。書き入れ時の29日に東京でも雪が降り、31日も氷雨で最高気温が低かったと記憶しています」

上野観光連盟会長の二木(ふたつぎ)忠男氏(二木(にき)商会社長)は、こう説明する。かつてはアメ横問屋街連合会会長も歴任し、現在は上野地区を束ねる同観光連盟トップを長年勤める。テレビの情報番組にも登場し、アメ横を最も知る人物のひとりだ。

「アメ屋横丁」と「亜米利加横丁」

「アメ横の由来は、戦後に駐留した米軍の横流し品である払下げ衣料などを扱うようになった『亜米利加(アメリカ)横丁』と、戦火で焼け出され、食糧難のなかで甘いものを欲していた庶民に、芋飴などを売った『アメ屋横丁』の両方に由来しています」

二木氏はこう話し、続ける。

「アメ横にはJR上野駅側から入っても、御徒町駅側から入ってもよいのですが、街の色合いは異なります。上野駅に近い側は伝統的に食料品店が多く、御徒町駅に近い側は化粧品やジーンズのような衣料品など、昔で言う舶来品を売る店が多いのです」

太平洋戦争後に東京都内に出現したのが「ヤミ市」(非合法の物品販売場所)だ。怪しさもあったが当時の庶民の生活を支えた。新宿や池袋、新橋などが時代とともにビルの繁華街に姿を変えた中、アメ横はいまだにヤミ市のなごりをとどめている。

外国人観光客からの人気は、こうした「日本の生活ぶりがわかる場所」も大きい。かつては食料品店が多く、店舗数も500店ほどある中、約300店が食料品店だったという。前述の「石山商店」や「二木の菓子」は、その象徴としてメディアによく登場する。

また、衣料品店も商店街の看板の一つだった。

戦後すぐに米軍の放出品を売り始めた亜米利加横丁のDNAを受け継ぎ、ここからブームが始まった衣料品も多い。例えば「MA-1」と呼ばれる米軍のフライトジャケットだ。ミリタリーショップとして有名な「中田商店」が売り出し、1980年代以降、人気に火がついた。

だが、近年はそんな雰囲気も変わっている。商店街の一角に食べ物屋が出現し、年々拡大している。ドラッグストアやスポーツ用品など、全国に展開するチェーン店も増えた。

もちろん商店街が時代とともに姿を変えるのは珍しくないが、長年にわたり昔ながらの雰囲気を残していたアメ横にも、変化の波が押し寄せたのだ。

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