「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換
ただこのような行動は、時の権力者からは疎まれやすく、煮え湯を飲まされたり冷や飯を食わされたりは日常茶飯事ではあるだろう。
だが、スティグリッツはそれであっても分析や助言をやめない。そして、彼の助けを求める国々は彼を大いに歓迎したし、また不都合な真実を明るみにしたいメディアも彼に好意を示すようになる。スティグリッツが経済学者として異例の人気を誇るのは、このような人柄によるものだろう。
そして、スティグリッツの立腹は、いまは主にアメリカに向かっているようだ。
スティグリッツの最新刊『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』では、これまでのようにグローバリズムの不幸や金融への危惧にももちろん言及されているが、いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっているように感じる。それはとくに序文にはっきり現れている。
とくにトランプ大統領には物言いが辛辣だし、ウォール街へも相変わらずの苦言を呈するが、なかには同僚の主流派経済学者たちがドキリとする宣言もある。
いま、スティグリッツは経済学者として大きな挑戦をしようとしているように見える。それは、経済政策の転換を主張・説得するものとして書かれているが、それ以上のもの、つまり経済学の根幹を問い直すスケールの大きなもくろみを感じさせる。
経済学のここ50年の歴史を清算する意思
序文でスティグリッツは、トランプ大統領への苦言を一通りは呈するものの、その(悪意ある)欺瞞はいかにも小物的、表面的だと言わんばかりの書き方をしている。トランプ大統領はいさかいをあおって問題を表面化させたが、実は本来的な経済構造のほうに根本的な問題があるのだという。
その根本的な問題とは何か。それを示唆するために、スティグリッツは突然、ルーズベルトの時代のアメリカ経済に言及する。
このスティグリッツの宣言には、主流派(この50年で最大勢力となった新古典派経済学)の学者たちはきっとドキリとしたに違いない。50年前の経済学(ニューディーラー、つまり政府の財政支出による計画経済を重視する立場で『アメリカ・ケインジアン』とも呼ばれていた)に戻らなければいけないね、と“あの”最強経済学者がほのめかしているからだ。
経済学会ではここ長らく、主流派でなければ学者として名を成すことが事実上難しい状況が続いている。いまの主流派は歴史的に、不況対策で功績を上げたニューディーラー(1930〜1970年代)を学術的・政治的に葬り去って「新しい古典派」として数理的な市場均衡モデルを武器にその座に着く(1980年代以降)。
そして、主流派であるかどうかは、一般的なイメージよりもずっと経済学者にとって切実なものである。
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