禅僧が教える「心をラクにする」気持ちの整え方 「置かれた場所」で咲けなくたっていい
もうすぐ仕事納め、年末年始の休暇を心待ちにしているという方も多いでしょう。一方で、家族や親戚とのさまざまなしがらみにより、帰省が憂鬱だったり、年明けの仕事のことを考えるとつらいという、重苦しい気持ちを抱えている方もいるのではないでしょうか。
私は福井県の永平寺で僧侶として20年近くを過ごした後、縁あって青森県にある霊場、恐山の院代(住職代理)となり10年以上が経ちました。その間、生きづらさや苦しさを感じているという、たくさんの方々とお会いしてきました。皆さんのお話を伺う中で、仏教の考え方がさまざまな問題の解決の糸口、生きるためのテクニックとなるのだということに気がつきました。
仏教というツールは、こだわりや執着から起こる苦しみの正体を知り、その取り扱い方を身に付けるために利用できるのです。拙著『禅僧が教える 心がラクになる生き方』で詳しく、ここではその中のいくつかをお話ししたいと思います。
自分が今いる場所に悩んでいるあなたへ
家族との関係に悩んでいる、職場でなかなかうまくやっていけないなど、「今いる場所」について、悩みを持っている方は多いと思います。
仏教では、すべての物事は、1つの条件によって成立している「仮のもの」だと考えます。どんな場所も人間関係も、仕事も、家庭も、つねに一定の条件でしか成立しないあいまいなもので、「絶対」ではありません。
例えば、同僚や上司との人間関係がうまくいかないことは深刻な問題かもしれません。しかし、そこを辞めれば、職場の人間とは一切の関係が途切れます。家族でさえ一緒にいるから「家族」なのであって、離婚したり、生まれてすぐ親子が離ればなれになったとしたら、赤の他人同士です。
「置かれた場所」とは、「たまたま置かれた」にすぎない場所なのです。
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