禅僧が教える「心をラクにする」気持ちの整え方 「置かれた場所」で咲けなくたっていい

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友人をつくると、人はどうしても相手と良好な関係を維持しようと努力します。また、「自分をわかってもらいたい」「相手に認めてもらいたい」と思います。それは、1つの欲にすぎません。

思惑どおりに受け取ってもらえればまだいいでしょうが、いつもそうなるとは限りません。コミュニケーションの行き違いは、新たな悩みやストレスになります。とくに、多すぎる友達は心を疲弊させ、精神的な健康を害します。それだけ多くの人間関係を維持しなければならないからです。

自分にとって、本当に大事な人間、大切にしたい人間は、せいぜい10人程度、多くて20人くらいではないでしょうか。「いや、今の自分には友達もたくさんいるし、仕事の人間関係もある」と思うかもしれませんが、自分の状況が変われば人間関係は一変します。そう考えると、自分の生き方やあり方を決定づける人間関係は、そう多くはありません。

自分が本当に大切にしたいものを決めること。そうすれば、後は自分にとってどうしても必要な人間関係だけを大事にしていけばいいのです。

「つらくても大丈夫」と思える生き方をする

「つらさ」を飼い慣らせば、もう少しラクに生きられる

仏教は、人生はつらく、苦しく、悲しいもの、せつないものだと断じています。たとえそうでも、すべてを抱えて死ぬまで生きる。その勇気こそが尊いのです。

今、あなたの中に重苦しい気持ちがあるのなら、その思いをなくしたいと願ってもむずかしいでしょう。「ないほうがいい」とわかっているのに持ち続けているのは、そもそも捨てられるものではないということですから。

『禅僧が教える 心がラクになる生き方』(アスコム)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

ただ、苦しみをなくすことはできなくても、悩みや問題を解きほぐしていくことはできます。もっと言えば、「つらくても大丈夫」と思える生き方をすることはできます。

もちろん、日々幸せに生きられるのなら、それに越したことはありません。実際、生きるのにさほど四苦八苦せず、人生を謳歌している人もたくさんいます。それはそれで、大変けっこうなことで、そこに仏教の出る幕はありません。

しかしもし、あなたが今の状況を変えたいと感じているのなら、この仏教という道具を試してみるのも悪くないのではないでしょうか。自分を苦しめたり、悩ませたりしているものの「正体」が明らかになれば、そこから見えてくる道があるはずなのです。進むべき道が見えてくれば、人はどんな苦境からでも、一歩を踏み出していくことができます。

南 直哉 禅僧

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みなみ じきさい / Jikisai Minami

1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。『恐山 死者のいる場所』『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)、『善の根拠』『仏教入門』(講談社)、『死ぬ練習』(宝島社)など、著書多数。

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