なぜ「ナポリタン」が愛され続けているのか 「昔ながらの」が似合う不思議なパスタ料理

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菊地武顕著『あのメニューが生まれた店』によれば、第2次世界大戦後にアメリカ軍が持ち込んだ兵営食を日本人シェフが進化させたことで日本に誕生したとある。場所は、横浜のホテルニューグランド。厚木飛行場に到着したマッカーサーはまっすぐここにやってきて、それから7年間、GHQに接収されることになる。

進駐軍のアメリカ兵は、大量に持ち込んだスパゲティにケチャップを和えて食べていた。それを見たホテルニューグランド総料理長の入江茂忠が、トマトソースをベースにハム、マッシュルームなどの具材を入れた料理に進化させた。ナポリの屋台で売られているような料理に似ていたので、スパゲティナポリタンと命名したそうだ。

ホテルニューグランドの1階にある「ザ・カフェ」というレストランでは、発祥当時のナポリタンを今もいただくことができる。ただ、ここのナポリタンはいわゆる一般的なナポリタンとは違って、ケチャップ味ではなくトマトソース仕様だ。本場のイタリアンという感じでおいしいけれど、これがナポリタンかといった疑問も湧いてくる。

戦前からナポリタンはあった!?

それでは、ケチャップ味のナポリタンはどこが日本発祥なのかといえば、これもまた横浜なのだ。桜木町の「センターグリル」というお店である。

桜木町「センターグリル」のナポリタン。もちもちの太麺にやさしいケチャップ味(筆者撮影)

センターグリルの創業は1946(昭和21)年。初代の石橋豊吉はホテルニューグランドの裏にあったセンターホテルで働いていた。ホテルニューグランド初代料理長のサリー・ワイルはここを買収し、一時、オーナーシェフをやっていた。つまりこちらもホテルニューグランドの流れを汲むナポリタンということになる。

しかし、『古川ロッパ昭和日記』によれば、1934(昭和9)年に三越の特別食堂でナポリタンというスパゲティを食べたという記述がある。その料理がどんなものかはわからないが、ナポリタンという名前のスパゲティ料理はすでに戦前には日本に存在していたことになる。

もちろんこれが、今でいうところのナポリタンかどうかは不明だが、可能性がないわけではない。国産のトマトケチャップは、横浜の清水屋が1903(明治36)年に製造販売を開始したという記録が残っているからだ。さらに、カゴメがトマトケチャップを製造販売を開始したのも1908(明治41)年である。

いずれにせよ、発祥が戦前か戦後かはさておき、ケチャップ味のナポリタンは昭和の早い段階から日本で広まっていく。

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