ジェフ・ベゾスにも“かまし”ました
――テレパシーは現在、カリフォルニア州サニーベール市に本社を置いています。シリコンバレーで起業しようと決めていたのですか。
井口:初めから決めていました。伊佐山さんからの影響も大きいですね。DCM時代に、サンドヒル・ロード(米スタンフォード大学の脇を南北に抜ける緑豊かな道路で、有名ベンチャーキャピタルが軒を連ねている)に呼んでいただき、トップクラスの投資家や起業家と直接会う機会がありました。
そのときに、「あれっ!?」と思ったのです。これまで東京で“ぶいぶい”言わしていたけど、井の中の蛙だったなと……。中でも、アマゾン・創業者のジェフ・ベゾスと会ったときは、「すごいな」と。考え方や展開力がまったく違いました。
ただ、いつものように僕が「アマゾンはソーシャルもモバイルも弱すぎで、なっとらん。クソだ! セカイカメラと組んだらやばいよ」と“はったり”をかましたら、ベゾスはウケてくれて、横から秘書が「次のアポイント」についてのメモを渡すのですが「ちょっとまて」と。それが2回続きました。やった、追加オーダーはいりましたと(笑)。
伊佐山:当時、頓智ドットのときは、シリコンバレーでやろうとは思わなかったのですか。
井口:すごくいい質問である一方、お答えしにくい質問です。僕はぶっちゃけ、行く気満々でした。海外のカンファレンスやアワードに積極的に出席し、その都度、チャンスを探っていた。ただ、経営者として「いつまでにこういうバジェット(予算)で、こういう陣容で、こういうふうにいくべし」という判断を下せなかったのです。それは僕の経営者としての甘さで、機が熟したらということを言いつつも、結局はアドホック(その場かぎり)でした。
2011年にサンフランシスコでオフィスを構えて3カ月間挑戦したのですが、短期間で、そこでオーガナイズ(組織づくり)する意思決定も十分になかった。だから結果として、DCMさんも含めて投資家から「何やってんだ。日本に戻ってこい」と言われ、撤退した経験があります。
今でも、そのときの敗北感が強くあるのです。当時は、おカネも優秀なヒトもすばらしい製品もあった。「シリコンバレーでやろう」という意思決定が本来ならばできたと思うのです。それを僕ができなかった。
だから、テレパシーでは不退転の決意です。予算もヒトも計画もしっかり持っていますし、絶対にやります。日本に戻るつもりはありません。
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