人間の愚かさを決して過小評価してはいけない ユヴァル・ノア・ハラリが説く「戦争」の本質

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戦争で勝利を収めれば、イギリスがナポレオンに勝った後やアメリカがヒトラーに勝った後にしたように、自分に有利になるようにグローバルな交易制度を改変して、莫大な利益をあげることが、依然として可能だろう。とはいえ、軍事テクノロジーが変化しているので、そのような離れ業を21世紀に再現するのは難しい。原子爆弾は、世界大戦での勝利を集団自殺に変えてしまった。広島への原爆投下以後、超大国が直接戦火を交えたことがなく、(彼らにとっては)得るものも失うものも少ない争い――敗北を避けるために核兵器を使う誘惑が小さいもの――にしか乗り出していないのは、けっして偶然ではない。実際、北朝鮮のような2流の核保有国への攻撃さえも、きわめて魅力に乏しい。金一族が軍事的敗北に直面したら何をやりかねないかを考えると、ぞっとする。

帝国主義者を目指す人にとって、サイバー戦争のせいで事態はなおさら悪くなる。ヴィクトリア女王とマキシム式速射機関銃の古き良き時代には、イギリス軍はマンチェスターやバーミンガムの平和を危険にさらすことなく、はるか彼方のどこかの砂漠で先住民を大虐殺することができた。ジョージ・W・ブッシュの時代になってさえ、アメリカはバグダードやファルージャに大損害を与えても、イラクはサンフランシスコやシカゴに報復攻撃を加える術がなかった。

だが、もし今アメリカが、たとえ月並みなサイバー戦争の戦闘能力しか持たない国を攻撃しても、ほんの数分で戦争はカリフォルニア州やイリノイ州を巻き込むことになりうる。マルウェア〔訳註 悪意あるソフトウェア〕やロジックボムのせいでダラスで航空交通が停止したり、フィラデルフィアで列車が衝突したり、ミシガンで送電網が使用不能になったりしかねない。

征服者たちの黄金時代には、戦争は損害が少なくて利益が大きい事業だった。1066年のヘイスティングズの戦いでは、ウィリアム征服王が数千人の戦死という代価でたった1日でイングランド全土を手に入れた。一方、核兵器とサイバー戦争は、損害が多くて利益が小さいテクノロジーだ。そうしたテクノロジーを使えば国をまるごと破壊できるが、利益のあがる帝国は築けない。

したがって、武力による威嚇と棘々しい雰囲気が満ちている世界では、戦争で成功した最近の例に主要国は馴染みがないというのが、平和の最善の保証になっているのかもしれない。チンギス・ハーンやユリウス・カエサルはどんなに些細なものでもきっかけさえあればすぐに外国を侵略したが、エルドアンやモディやネタニヤフのような今日のナショナリズムの旗手たちは、大言壮語はするものの、実際に戦争を始めることにはじつに慎重だ。もちろん、21世紀の状況下で戦争を起こして成功を収める公式を現に見つける人がいたら、たちまち地獄の門が開くだろう。だからこそ、クリミアでのロシアの成功は、とりわけ恐ろしい前兆なのだ。それが例外であり続けることを願おう。

愚者の行進

悲しいかな、21世紀には戦争が損な企てであり続けたとしても、平和の絶対的な保証にはならない。人間の愚かさは、けっして過小評価するべきではない。人間は個人のレベルでも集団のレベルでも、自滅的なことをやりがちだから。

1939年、枢軸国にとって戦争はおそらく、望ましい結果をもたらす手段ではなかっただろうが、それでも世界はその戦争を免れられなかった。第2次世界大戦に関して驚嘆するべき点の1つは、戦後、敗戦国がかつてないほど繁栄したことだ。ドイツとイタリアと日本は、軍隊が完全に壊滅し、帝国もすっかり崩壊してから20年後、前例のないレベルの豊かさを享受していた。

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