人間の愚かさを決して過小評価してはいけない ユヴァル・ノア・ハラリが説く「戦争」の本質

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それならなぜ、彼らはそもそも戦争を起こしたのか? なぜ厖大な数の人々に不要な死と破壊をもたらしたのか? すべては馬鹿げた計算違いにすぎなかった。1930年代に日本の将軍や提督、経済学者、ジャーナリストたちは、朝鮮半島と満洲と中国沿岸部の支配権を失えば、日本は経済が停滞する運命にあるということで意見が一致した。だが、彼ら全員が間違っていた。じつは、名高い日本経済の奇跡は、大陸に持っていた領土をすべて失った後に、ようやく始まったのだ。

人間の愚かさは、歴史を動かすきわめて重要な要因なのだが、過小評価されがちだ。政治家や将軍や学者たちは世界を、入念で合理的な計算に基づいてそれぞれの手が指される巨大なチェスの勝負のように扱う。これはある程度まで正しい。駒をでたらめに動かすような、狭い意味で頭のおかしい指導者は、歴史上稀だ。東条英機やサダム・フセインや金正日は、合理的な理由に基づいてそれぞれの手を指した。問題は、世界がチェス盤よりもはるかに複雑で、人間の合理性では本当に理解できない点にある。したがって、合理的な指導者でさえ、はなはだ愚かなことを頻繁にしでかしてしまうのだ。

では、世界大戦をどれほど恐れるべきなのか? 両極端の考え方は避けるのが最善だ。一方で、戦争は断じて不可避ではない。冷戦が平和な形で終わったことからわかるように、人間が正しい決定を下したときには、超大国の争いさえ、平和に解決できる。そのうえ、新たな世界大戦が避けられないと決めてかかるのは、とりわけ危険だ。それは自己成就予言となってしまう。各国は、戦争は避けられないと思い込めば、軍を増強し、果てしない軍拡競争に乗り出し、どんな争いにおいても譲歩を拒み、善意の意思表示は罠にすぎないのではないかと疑う。そうなれば、戦争の勃発は確実になる。

その一方で、戦争は不可能だと決めつけるのは考えが甘い。たとえ戦争はどの国にとっても壊滅的な結果をもたらすとしても、人間の愚かさから私たちを守ってくれる神もいなければ、自然の法則もない。

人間の愚かさの治療薬となりうるものの1つが謙虚さだろう。国家や宗教や文化の間の緊張は、誇大な感情によって悪化する。すなわち、私の国、私の宗教、私の文化は世界で最も重要だ、だから私の権益は他の誰の権益よりも、人類全体の権益よりも優先されるべきである、という思いだ。世界に占める真の位置について、国家や宗教や文化にもう少し現実的で控えめになってもらうには、どうしたらいいだろう?

あなたは世界の中心ではない

ほとんどの人は、自分が世界の中心で、自分の文化が人類史の要だと信じがちだ。多くのギリシア人は、歴史はホメロスとソフォクレスとプラトンから始まり、重要な考えや発明はすべてアテネ、スパルタ、アレクサンドリア、あるいはコンスタンティノープルで生まれたと信じている。中国のナショナリストは、黄帝と、夏と商(殷)の両王朝とともに歴史は本格的に始まり、西洋人やイスラム教徒やインド人が成し遂げたことは何であれ、もともと中国による飛躍的発展の二番煎じにすぎない、とやり返す。

排外主義のヒンドゥー教徒は、そのような中国の自慢を退け、飛行機や核爆弾でさえ、アインシュタインやライト兄弟は言うまでもなく、孔子やプラトンよりもはるか以前に、インド亜大陸の古代の賢人たちによって発明されたと主張する。たとえば、ロケットと飛行機を発明したのは導師(マハリシ)バラドワジャで、ヴィシュワミトラはミサイルを発明したばかりでなく使い、阿闍梨(あじゃり)カナダは原子論の父で、大叙事詩『マハーバーラタ』は核兵器を正確に記述していたという。そんなことを、あなたは知っていただろうか?

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