イスラム教徒に忖度する「インドネシア」の憂鬱 国是の「多様性の中の統一」から逆行

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日本のようにクリスマスは宗教に関係なく祝う習慣が若い世代で広まっているインドネシアだが、イスラム教徒の若者はキリスト教徒の友人に「メリークリスマス」というあいさつをしたり、クリスマスカードを送ったりすることも躊躇せざるをえなくなっているのだ。

ジャカルタ中心部の大型商業施設にある外国資本のケーキ店は12月を前に「当店のケーキにはクリスマスや旧正月を祝う言葉を書くことはできかねます」との掲示を出した。

大人になるにつれてイスラム教徒の意識が強まる

同店によると、製造販売しているケーキ類はイスラム教徒でも食べることができるように「ハラル認証」を受けたものであり、そこに「イスラム教以外の宗教の言葉を書くことはできない」というのだ。これにはハラル認証団体やイスラム教組織もすぐに反応。「ケーキの上の異教徒の言葉まで制限などしていない」と問題がないことを表明する事態となっている。

クリスマス時期はクリスチャンにとっても悩ましい。親しいはずのイスラム教徒の知人に例年と同じようにクリスマスの言葉やお祝いをメールしたりすると、突然返信が来なくなったり、「私はイスラム教徒で、クリスチャンではない」といった言葉が返ってきて、友人関係に亀裂が入るといったことがあるという。

中学、高校と進むに従って特にイスラム教系の教育機関では、そうした「イスラム教徒としてあるべき姿」が教えこまれて「クリスマスを祝うべからず」が浸透することで友人関係にも変化が出る結果になっている。

「そんなの関係ない」と言っていたイスラム教徒の若者も、成長するにつれて社会の大勢に抗する意欲を失い、学校や職場そして家庭などの「イスラム教優先」の渦の中に巻き込まれていく。イスラム教徒はイスラム教の催事、イベント、行事にのみ従うようになっていくのだ。

こうした行きすぎたイスラム教配慮や忖度(そんたく)も、イスラム教徒による暗黙の優先や強制を助長する結果を招来しており、インドネシア全体にイスラム教が国教化しつつあるといえるだろう。

大塚 智彦 フリーランス記者(Pan Asia News)

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おおつか ともひこ / Tomohiko Otsuka

1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からはPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材執筆を続ける。現在、インドネシア在住。著書に『アジアの中の自衛隊』(東洋経済新報社)、『民主国家への道、ジャカルタ報道2000日』(小学館)など。

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