初詣「二礼二拍手一礼」が古い伝統という勘違い 昨晩聞いた「除夜の鐘」も実は歴史が新しい
かように、しきたりというものには意外なほど新しいものが多いわけだが、その際たるものが除夜の鐘だという。
大晦日の夜に各寺で撞かれる除夜の鐘の回数は、ほとんどの寺で108回と決まっている。ご存じのとおり、仏教において108は人間の煩悩の数とされているからだ。
煩悩とは心の汚れを意味し、108の由来については諸説あるものの、煩悩の数だけ鐘を撞くことで、煩悩を払うことになると受け取られているわけである。だとすれば、除夜の鐘が古くからそれぞれの寺で撞かれていたかのように思えても無理はない。
とはいっても、それまで除夜の鐘が句に詠まれなかったわけではないようだ。例えば宝暦年間(1751~64年)の古川柳には、「百八のかね算用や寝られぬ夜」があるという。
また江戸時代後期に陸奥白石(宮城県)の千手院の住職だった岩間乙二に、「どう聞いてみても恋なし除夜の鐘」の句があるそうだ。このように、江戸時代に除夜の鐘は一部で俳句に詠まれてはいたが、とはいえ季語として定着するのは昭和の時代、1930年代になってからだというのである。
知られざる「しきたり」の面白さ
これら一部のトピックスを確認するだけでも、われわれが古いしきたりだと信じて疑わなかったものが、実はそうでもなかったということがわかるのではないだろうか。
本書の面白さはそこにある。「初詣は鉄道会社の営業戦略だった」「クリスマスは狂乱まじりの無礼講だった」「ニッポンの無礼講の伝統」などなど、見出しを眺めているだけでも興味をそそられ、読んでみればぐいぐいと引き込まれる。
しかも重要なポイントは、高名な宗教学者である著者が、さまざまなトピックスを盛り込むことで間口を広げている点だ。そうすることによって、「しきたり」のおもしろさやツッコミどころなどに関心を向けさせているのである。
だから信仰心の有無にかかわらず、肩の力を抜いて楽しむことができるだろう。年末休みに読んでみれば、芸能人が大騒ぎしているだけのテレビ特番を見るよりは充実した時間が過ごせそうだ。
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