「ハンパな優等生」が職場で嫌われる4大理由 会議では「解説」ばかり…あなたは大丈夫?
最後は、「ハンパな優等生」ほど、「会議では『意見』を言わずに、ひたすら『解説』をする」ことが多いということだ。
会議などで自分の「意見」を言うと、必ず何らかの「反応」がある。
賞賛を受けたり、意見が採用されたり、同じ意見の知己を得ることもあるだろう。逆に反論されることもある。攻撃してくる人もいるだろう。会議では当然のことである。しかし、「ハンパな優等生」には、「意見」を言わずに、議論の「解説」に徹している人が多い。
反論の攻撃にあうくらいなら、黙っていたほうが無難だし、だいたい熱くギャーギャー意見を言う人より、ちょっと斜に構えて静かに解説したほうが、頭がよさそうに見える。上司の意見の後だと、上司からいい印象を持ってもらえるかもしれない――。
しかし、それは危険だ。最初は「意見はあるけれど、今は言わないでおこう」だったのが、それを重ねるうちに、自分の意見を考えなくなる。さらにそれが続くと、言いたくても意見がなくなってしまうのだ。
勘違いしてはいけない。「解説」するのはアウトプットではない、「意見」を言うのがアウトプットなのだ。
「自分の意見」を持つことは、「自分のビジョン」を持つことであり、「ミッション」を持つことであり、「さまざまな判断の基準」を持つことだ。それがあればこそ、さまざまな「アイデア」や「発想」が生まれる。
はじめはよくても、「解説」ばかりで新しいアイデアも発想も言えないままでいると、いずれは上司や仲間にも見透かされてしまう。どんどん信頼も薄らいでいってしまい、かくして、「ハンパな優等生」はハンパに終わってしまうのである。
「ハンパない優等生」か「ハンパないオタク」になれ
かつて、高度成長期は「ハンパな優等生」が大量にいればよかった。大量生産の時代は、前例に従い、そのとおりに迅速に、ミスなくできる人材がたくさんいればよかった。
しかし、イノベーションが求められる今は違う。「今ないもの」「今あるものから外れているもの」「今あるものを超えるもの」を夢想し、見つけ出し、創り出す力が求められている。そういうある意味、「異端の人材」が求められている。
これからは「ハンパな優等生」は必要ない。今、必要なのは、オールラウンドな「本当に優秀な、ハンパない優等生」か、そうでなければ、ある分野においてのみ知識と情熱が突出している「ハンパないオタク」のいずれかだ。
そういう人が、「今ないもの」「今あるものから外れているもの」「今あるものを超えるもの」を夢想し、見つけ出し、創り出していけるのだと思う。
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