「教育という名の虐待」が蝕む愛着障害という病 数学の得意・不得意にも愛着が関与している

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それでも、医学部に入るという目標が変更されることはなかった。1浪の末、私立の医学部に、寄付金を積んで入ることができた。だが、F美さんに、医者になるための勉強を続ける気力は残っていなかった。

大学に行こうとすると、頭痛や吐き気に襲われるようになった。方々の医者に診てもらったが、一向に改善しなかった。大学も休みがちになり、単位も危うくなると、OD(オーバードース:薬物の過剰摂取)を繰り返すようになった。

あるときは、昏睡状態で緊急搬送された。担当した医師から、医学部を辞めないと、この子は死んでしまうと言われたが、それでも親は医学部を諦めきれず、続けさせようとした。自宅に帰ってまもなく、F美さんは、手首からだらだら血を流しながら、路上を彷徨(さまよ)っているところを保護され、精神科に入院。親もようやく、これ以上は無理だと悟り、医学部を辞めることを許した。

教育という名の虐待――死に至る病からの脱走

もし、あくまで親が医学部を続けることにこだわっていたら、F美さんは死んでいただろう。初めて親に逆らって、自分の意思を示すことができたF美さんだったが、しかし両親は、F美さんの気持ちを本当に理解したわけではなかった。心のどこかで、自分たちの期待を裏切った愚かな娘という思いを消すことができなかったのだ。

自分に注がれる、両親の冷ややかな視線。それをひしひしと感じるだけに、F美さんも次第に、親に対して敵意をむき出しにするようになった。自分の人生を、自分たちの都合のためにめちゃくちゃにした親たちに逆らうことが、F美さんに残された生きる意味となっていたのである。

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「死に至る病」を脱するためには、それは必要なプロセスだったのかもしれない。

F美さんの本当の自分探しが始まるまでには、親が敷いた路線をいったん拒否し、怒りをぶつける時期が、しばらく続くことになる。

本人の主体性を無視し、進路を押しつけ、勉強を強いることも、虐待である。

虐待の結果、愛着はダメージを受け、愛着障害が生じることになるが、F美さんの場合は、もともと安定した愛着が育まれていたのかも怪しい。医学部に進んで後継者になることを前提に話は進められ、両親がF美さんのことを、思いどおりになるのが当たり前の操り人形のように扱ってきたのは、そもそも温もりのある愛情に欠けていたからとしか思えない。

F美さんは、愛情不足の中で育ち、親の愛情や承認に飢えていたからこそ、進んで親の思いどおりになろうとしたのだ。愛着障害を抱えた人に起きやすい悲劇である。

親は、満足な愛情を与えないうえに、親に気に入られようとする子どもを思いどおりに支配するという、二重の虐待を行っているのである。

(注)F美さんの事例は実際のケースをヒントに再構成したものであり、特定のケースとは無関係です。
(*参考文献)Maloney & Beilock, “Math anxiety: Who has it, why it develops, and how to guard against it.” Trends Cogn Sci. 2012 Aug;16(8):404-6.
岡田 尊司 精神科医、作家

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おかだ たかし / Takashi Okada

1960年香川県生まれ。東京大学文学部哲学科中退、京都大学医学部卒、同大学院にて研究に従事するとともに、京都医療少年院、京都府立洛南病院などで現代を生きる人々の心の課題に向かい合う。現在、岡田クリニック院長(枚方市)。日本心理教育センター顧問。著書に『愛着障害』(光文社新書)『発達障害「グレーゾーン」』(SB新書)、監訳書に『親といるとなぜか苦しい』(東洋経済新報社)など多数。小説家・小笠原慧としても活動し、作品に横溝正史賞を受賞した『DZ』などがある。

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