船橋:ところで、今井さんは東京財団に9年お勤めになり、最後の2年間は常務理事をなさいました。どんなきっかけで、シンクタンクの世界に飛び込まれたのか、そのあたりから伺えますか。
社会に対する責任感
今井:話せば長くなりますが、この道に入るきっかけはケネディスクールへの留学だったかもしれません。元々は日本の政治経済社会の諸相を世界に伝える硬派の英文出版社ジャパンエコーに勤めていました。そのとき、こんな硬派の出版物を読む、世界の有識者はどんな問題意識を持って日本を見ているのか知りたくなって、13年ほど勤めた会社を退社して、フルブライトのプログラムを利用して子連れで留学しました。修了後、3カ月ほどジョンズホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所に客員研究員として滞在したりもしました。
帰国後は、そのときのご縁で世界政治学会の世界大会のお手伝いをしたり、アメリカのビジネス書の翻訳をしたりと、とにかく自分のできることをやっているうちに、いろんな道が開けてきて、国際交流基金で海外広報を約1年間務めた後、お誘いを受けて東京財団に入ることになりました。
船橋:ケネディスクールで学ばれたことの中で、その後の政策研究の仕事にいちばん影響が大きかったのは、どんなことでしたか。
今井:やっぱり「社会の役に立とうという意志(コミットメント)」でしょうかね。留学の動機は「読者を知りたい」ということでしたけれど、実際にクラスメイトと交流して驚いたことが沢山ありました。公共政策と言えば、日本では霞が関か県庁、市役所の領域で、公務員以外の人が学ぶことはあまりありませんけど、ケネディスクールには、ありとあらゆる人が集まっていました。一般市民だけではなく、ちょっと過激な社会活動家や亡命者も一定の割合で受け入れています。
そんなふうに多様な人が集まっていましたが、1つだけ共通していたのが、「みんながハッピーになる政治をしようじゃないか」ということに対する熱意でした。日本では青臭いとか空論だと敬遠されがちな空気感ですけど、あの学校では、自分たちが暮らす場所(世界)なのだから自らの手でよくしようという情熱をみんなが持っていました。日本でもこういうことができたらすごくいいのにと、強く思いました。
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