タブー破りまくり「三井・越後屋」のスゴイ戦略

日本のビジネスモデル史上最大級の革新だ

それまでは、呉服の値段は買う人によってバラバラでした。価格とは相対で決まるもので、「一見さんには高く、なじみ客には安く」が普通でした。そういった一物多価の時代に越後屋は、「どんなお客さまにも、同じくお安い値段で提供します」と言い切りました。

ほかにも、富裕層家庭への訪問販売(屋敷売り)や、店頭で注文を聞いて後とで自宅へ届ける(見世物商い)のが中心であった商売を、店頭での販売(店前〈たなさき〉売り)だけにしました。当然、その分コストは下がり、価格を下げることができました。

それまでの呉服屋のすべてを変えた

変えたのは、価格だけではありません。顧客の利便性を上げるために、「切り売り」と「仕立て売り」に乗り出しました。それまで呉服店では1反(通常、幅36㎝長さ12m)ごとの販売しかしていませんでした。それを切り売りすることは、一種のタブーだったのです。でも、高利はそれを断行しました。これは江戸の庶民層(豊かな中間層)や、逆に粋(いき)を競う者たち(かぶき者や女性たち)に大いに受けました。

越後屋はさらにイージーメイドである「仕立て売り」を始めます。急ぎの客には即日の店頭渡しを可能にした、画期的な商品でした。そのために、ほかの店では完全に外部化していた縫製職人を雇い入れ、パーツごとに分業することで、即日納品を可能にしました。

繁盛した越後屋でしたが、老舗の同業者からの嫌がらせは強烈でした。店員がいじめられたり引き抜かれたり、組合から外されたり糞尿を店先にまかれたり放火されたり、が続きました。

1682年、高利は2店が焼失したのを機に店を隣町の駿河町に移転させ、翌年、店を拡張して両替商も始めました。1686年には呉服の仕入れ店がある京都にも両替店を開き、江戸・大坂(大阪はもともと大坂の字が当てられていた)間の為替業務に乗り出しました。当時、東日本では金貨で決済・西日本では銀貨でと分かれており、多くの問題が発生していました。

江戸の呉服店としては、京の西陣で仕入れなければなりませんが、金貨から銀貨への両替コストもかかれば、その為替変動リスクにもさらされます。また、江戸幕府は上納金の集め方に悩んでいました。大坂城に各藩から集まった年貢米や産物を売って得た銀貨を金貨に換えて、江戸まで数十日かけて現金輸送していたからです。

高利は自ら幕府に「公金為替」の仕組みを提案し、受け入れられます。「幕府の大坂御用金蔵から公金を三井両替店が銀貨で受け取り、2~5カ月後に江戸城に金貨で納める」というものです。

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