もちろん、自治体はフルスピードで走り続けている。福井県庁には今年6月、「新幹線開業課」が誕生した。近年の整備新幹線沿線では目にしたことがない、ストレートなネーミングだ。福井県は今年4月の知事選で、4期16年務めた現職と、その下で副知事を務めた新人が争い、知事が交代した。そして、新知事の初仕事の1つが、新幹線開業課の新設を含む機構改革だった。
福井県庁は駅から徒歩数分、福井城本丸跡に建つ。県庁を辞した後、内堀を挟んで西隣に位置する福井市役所を訪れ、新幹線を担当する市総合政策課で話を聞いた。
「今年4月、課内に新幹線シティプロモーション室を新設しました。誰もが情報発信者になれる時代。それを念頭に、全庁的な連携を強化して、市を挙げて新幹線開業の機運を高めたい」。同課の中村直幸副課長は力を込めた。傍らで同室の梅木照美・初代室長がうなずく。もらった資料で興味を引かれたのは、2013年に県と市が共同で策定した「県都デザイン戦略」だった。背景には、福井市が乗り越えてきた苦難の歴史があった。
空襲と地震被害、水害を克服
福井市は太平洋戦争末期の1945年7月、アメリカ軍による空襲を受けた。1500人余りが亡くなり、市街地がほぼ壊滅。そして3年後の1948年6月には、現在の震度7に当たる揺れを観測した福井地震に見舞われた。福井、石川両県で3769人が死亡、福井市の建物の全壊率は80%に達した。さらに翌7月、集中豪雨のため、地震で損傷を受けていた九頭竜川の堤防が決壊し、市内の約7000戸が水に浸かった。
だが、福井市民は、度重なる災禍を克服した。1952年、福井復興博覧会が開催され、不死鳥がシンボルマークとなった。その後、制定された「福井市市民憲章」は「不死鳥のねがい」と名付けられ、「不死鳥」(フェニックス)は、市を象徴する存在として、今も施設やイベントの名に使われている。
「県都デザイン戦略」は、この復興からおよそ1世紀後の「2050年」を見据えた戦略という。福井国体が開かれた2018年度を短期目標年次、当初の敦賀開業年度だった2025年度を中期目標年次に設定し、歴史や文化、持続可能性、自然などをキーワードに、新たな公共空間づくりを目指している。この戦略に基づき、駅周辺整備のほか、福井城跡の一角にある「山里口御門」復元、県庁・市役所に挟まれた「中央公園」整備といった事業が進展してきた。
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