「人事評価」をナメている課長
人事評価には3つの目的がある。
ひとつは給与、賞与、昇進・昇格など人事処遇を決めるための根拠データを取ることだ。評価のことを「査定」という場合はこのことを示している。
二つ目は部下育成である。
そもそも「評価」というのは、あるべき姿(期待)と現在の職務遂行レベルを比較し、その差の明確化に他ならない。
「その差をどう埋めるか」について具体的な次の行動を示唆・指導することが、会社が人事評価に期待する機能である。
三つ目は、労務管理のエビデンス作りであるが、この自覚がない管理職は非常に多い。
例えば、何かと上司である課長に盾つき、扱いづらく営業成績も悪い不良社員がいたら、「不良」であることの証拠を集める作業が人事評価である。
ところがそのような部下にちょっと指導モードで話をすると倍返しの反論・言い訳にウンザリし、低評価をつけたいところだが、標準的な評価で誤魔化してしまう課長がいる。
ついには手に負えなくなり人事部に泣きついてきた時には、いかに不良であるかをとうとうと語り出すのだが、自身がこれまでつけてきた標準評価と明らかに矛盾する。
ある程度の評価者トレーニングを積んでいる大企業ではさすがに少ないかもしれないが、評価制度はあってもろくに研修や説明を受けていない中小企業の課長となると、いきなり「彼を辞めさせたい」という話になることもしばしばである。
また、“部下に嫌われたくない”ので、とにかく甘く評価する課長がいる。
一般的に「寛大化傾向」というが、甘い評価をつけるという行為が自らの首を絞めることを理解していない。
実際の働きぶりより良い評価をするので、部下を甘やかすだけでなく、本人の伸び代をなくしてしまう行為といえる。
課長自身は甘く評価していることを自覚しているので、部下の仕事ぶりが少しばかり出来が良くなっても高評価は出さない。今まで甘くつけていた分の辻褄を合わせようとする。
しかし、部下からすると「以前より頑張っているのに、どうして成績が上がらないのか」という不平・不満が蔓延した“不機嫌な”組織風土が出来上がることになる。
セクハラ上司、パワハラ上司、意思決定できない上司は、誰が見ても明らかなダメ課長であり、余ほどの人材難の企業でない限り、ほどなく管理職ポストから外されるはずである。セクハラに至っては一発レッドカードで退場(懲戒)処分となる。
しかし、ひと昔前であれば、普通に生息できた上記3タイプの課長は、これから本格化する“管理職サバイバル時代”で生き残ることはできないのである。
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