樹木希林さんが病床で9月1日を気にした理由 娘が聞いた「どうか生きてください」の真意 

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石井:それだけつらい気持ちのときには、その子の気持ちを受けとめてあげるのが必要だったでしょうね。

内田:そう! 私、全然、受けとめられてない(笑)。母は一貫して「好きなほうを」と言う人でしたので、私としては「世の中的に良いのか悪いのか」を考えて学校へ通い続けようと決めました。

石井志昂(いしい・しこう)/中学2年生から不登校になった。不登校新聞には16歳のころから子どもとして、2000年からはスタッフとして関わる。不登校新聞社編集長(写真:不登校新聞)

石井:今、「世の中的には」とおっしゃいましたが、その“世の中”を伝える人がどこにいたのか、ということですよね。だって、ご両親は……。

内田:破天荒(笑)。父とはいっしょに暮らしていなかったので、母が大人のロールモデルになっていたと思います。

母は精神の拠りどころを強く持っている人だったので、いつもまっすぐ立っていました。

一方で、小さいころから私は「うちの親はヘンだぞ、あれを基準に考えてはいけない」という危機感もつねにあったんです。

石井:その後、結局、学校には通われたのでしょうか。

内田:卒業式まで通いました。悲しい思いもしましたが、最後まで通って卒業式を迎えたとき、なんとも言えない達成感があったんです。

そこで気持ちが吹っ切れたからか、中学校からは友だちもできて、いじめもなくなり、楽しい中学校生活を送れました。

話は変わりますが、今日、お聞きしたいことのひとつが、いまだに「学校へ行かなければ一人前にはなれない」という感覚は定着しているのか、ということです。

石井さんが不登校をされていた20年前と比べるとどうでしょうか。

石井:私が不登校したときと比べれば不登校の認知度は上がり、「死ぬぐらいなら学校へ行かなくても」という認識も広がりました。

しかし「学校を出なければ一人前ではない」という感覚も強く残っています。

以前と変わらぬ不登校の孤立感

3年前に不登校をした子は、パニック障害が起きて、不登校になりましたが、それでも「行けない自分が許せなかった」と話してくれました。

取材したほとんどの不登校の人は、一度は死を考え、その「死線」をくぐってきています。

そういう意味では「不登校の苦しさ」が根本的に変わったとは思いませんし、だからこそ「9月1日」の夏休み明けに子どもの自殺が突出して多い、という現象が今も続いているんだと思います。

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