樹木希林さんが病床で9月1日を気にした理由 娘が聞いた「どうか生きてください」の真意
石井:それだけつらい気持ちのときには、その子の気持ちを受けとめてあげるのが必要だったでしょうね。
内田:そう! 私、全然、受けとめられてない(笑)。母は一貫して「好きなほうを」と言う人でしたので、私としては「世の中的に良いのか悪いのか」を考えて学校へ通い続けようと決めました。
石井:今、「世の中的には」とおっしゃいましたが、その“世の中”を伝える人がどこにいたのか、ということですよね。だって、ご両親は……。
内田:破天荒(笑)。父とはいっしょに暮らしていなかったので、母が大人のロールモデルになっていたと思います。
母は精神の拠りどころを強く持っている人だったので、いつもまっすぐ立っていました。
一方で、小さいころから私は「うちの親はヘンだぞ、あれを基準に考えてはいけない」という危機感もつねにあったんです。
石井:その後、結局、学校には通われたのでしょうか。
内田:卒業式まで通いました。悲しい思いもしましたが、最後まで通って卒業式を迎えたとき、なんとも言えない達成感があったんです。
そこで気持ちが吹っ切れたからか、中学校からは友だちもできて、いじめもなくなり、楽しい中学校生活を送れました。
話は変わりますが、今日、お聞きしたいことのひとつが、いまだに「学校へ行かなければ一人前にはなれない」という感覚は定着しているのか、ということです。
石井さんが不登校をされていた20年前と比べるとどうでしょうか。
石井:私が不登校したときと比べれば不登校の認知度は上がり、「死ぬぐらいなら学校へ行かなくても」という認識も広がりました。
しかし「学校を出なければ一人前ではない」という感覚も強く残っています。
以前と変わらぬ不登校の孤立感
3年前に不登校をした子は、パニック障害が起きて、不登校になりましたが、それでも「行けない自分が許せなかった」と話してくれました。
取材したほとんどの不登校の人は、一度は死を考え、その「死線」をくぐってきています。
そういう意味では「不登校の苦しさ」が根本的に変わったとは思いませんし、だからこそ「9月1日」の夏休み明けに子どもの自殺が突出して多い、という現象が今も続いているんだと思います。