「暴力」が学校では「容認」されるおぞましい実態 指導の現場でなぜ暴力がなくならないのか?

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ここではっきりさせておきたいが「熱心な指導」の延長線上に「暴力」など存在しない。指導者がどんなに熱意をもって選手に接しても「暴力」をふるってしまえば、それは「指導」でも「教育」でもなくなる。これを「熱心な教育」というような国は文明国ではない。

筆者は昭和中期に成人したが、その当時の学校では「体罰」は日常的に見られた。今の40代以上で、教師や指導者が生徒に暴力をふるうのを1度も見たことがない人はまれではないか。

テレビ漫画「巨人の星」では、星一徹が息子の星飛雄馬を毎週のように殴っていた。それを見ても当時の人は、何とも思っていなかったのだ。

ただし昭和の時代であっても、誰もが暴力をふるっていたわけではない。その当時から生徒を殴るのは一部の教師、指導者だった。しかし当時はその行為を表立って問題視することはなく、校長、教頭や周囲の教師は「やりすぎなさんな」と言って遠巻きにしているものだった。こうした無責任、不作為が一部教師、指導者の暴力体質を醸成していったのだ。

社会の価値観の変化についていけているのか

教育現場の事なかれ主義的な体質は、おそらく昭和から平成そして令和の時代の学校にも引き継がれている。だから市立尼崎高校のバレー部や硬式野球部で起こった暴力を、校長や教頭は教育委員会に正しく報告せず、厳しい処分もしなかったのだろう。

学校の中の空気が、昭和の時代とさして変わらないままよどんでいるうちに、社会の価値観は大きく変化した。コンプライアンス意識が高まり、これまで許容されてきた問題行為が1つひとつ厳しく指摘されるようになった。所構わずの喫煙や飲酒運転、セクハラ、パワハラ、今問題になっているあおり運転、そして暴力。これまで看過されてきた行為が、ことごとく「不適切」として批判されるようになった。

これによって世の中の風通しはずいぶんよくなったように思う。力の弱いもの、声の小さいものが泣き寝入りをすることは減ったのではないか。

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