VW「ビートル」が80年の歴史に幕を下ろした理由 独特の形状や設計に込められた意味とは?
その後、ポルシェはアウストロ・ダイムラーでレース車両を開発し、自らも運転して優勝するなどの活躍をする。また、航空機エンジンを開発し、これがダイムラーの航空機で使われることもあった。
第1次世界大戦でドイツが敗れると、ポルシェは廉価な小型車を構想した。しかし、どの自動車メーカーでも採用されることがなく、その案を温め続けることになる。その間、シュツットガルトのダイムラー・モトーレンで働き、メルセデス・ベンツのスポーツカー開発などに携わった。
そこから自らの技術事務所を開設し、小型車開発技術を各自動車メーカーへ売り込み始めた。その間にも、アウトウニオンのレース車両の開発を行い、V型12気筒エンジンを運転者の後ろに搭載するミッドシップを考案し、ダイムラー・ベンツとグランプリレースや最高速記録で競うのである。
ビートルの形とアウトバーンの存在
ポルシェの小型車構想が実現へ動き出したのは、アドルフ・ヒットラーによる大衆車構想に合致したことであった。それが、のちのタイプ1(ビートル)につながる。しかし、戦況によって生産が開始されるのは第2次世界大戦後のイギリス占領下で、戦前は試作車の製作のみにとどまっていた。
初代ビートル、タイプ1の構想は、まさに当時の技術とドイツの国情が色濃く反映されている。
「ビートル=カブトムシ」と愛称された背の丸い外観形状は、ヒットラー政権下に拡充された高速道路であるアウトバーンの存在が大きい。あの姿は、いわゆる流線形を描いており、空気抵抗を減らす造形である。速度無制限のアウトバーンならではの発想といえるだろう。空力優先の造形でありながら、大人が4人乗れる室内空間を確保している。
エンジンは水平対向4気筒の空冷で、後輪の後ろに搭載されている。このため、ラジエターグリルはなく、グリルレスの顔つきは、車体の内側に風を取り込まず空気抵抗を減らすことにも役立っている。
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