外国人が心底残念に思う日本の偏った英語教育 このままではプログラミング教育も微妙に

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1つは英語ネイティブの「ALT(Assistant Language Teacher)」の偏在です。私が勤務していた地域では、1人のALTが20校もの学校を巡回しなければならず、ネイティブな先生の英語に触れられる機会は月に1回という学校もありました。こうなるとカナダの例のようにイマージョンというレベルの授業には程遠く、授業の進め方には相当な工夫が必要でしょう。

もう1つはまさにその授業の進め方です。私が教育の仕事に関わっていたのは10年以上前なので、その頃よりは会話重視の授業に変わってきているようですが、どうしても暗記と文法主体の英語学習に偏りがちです。

英語授業の本来の目的はコミュニケーションがとれるようになることです。文法は不要とは思いませんが、現在平均的な日本人が持っている非常に高い英文法の知識までは必要ないかと思います。英語学習において「知識を得ること」「間違えることはよくないこと」という感覚は他の教科以上に排除すべきです。

語学は音楽やスポーツと同じ

例えば体育の授業でサッカーのパスができない子がいた場合、どう教えるでしょうか。何度も失敗して、そこから感覚を徐々に身に付けてできるようになります。「パスの方法をカードに書いて丸暗記しよう」「パスの練習は恥ずかしい」というアプローチでは、上達は期待できないはずです。

英語は学問でなくコミュニケーションなので、スポーツ、あるいは音楽と同じように感覚として身に付けるべきなのですが、それだけの経験を積む機会が作れないということが課題なのだと思います。

こうした課題は指摘されて久しいと思いますが、結局のところ教育にかける予算やリソースが追いついていないという問題が立ちはだかります。とくに私が勤務していたような地方都市になればそれは深刻です。しかもこの問題は英語だけではありません。やや脱線しますが、2020年から小学校で義務化されるプログラミング教育も、同じような課題を抱えています。

この2つがいかにつながっているのか説明します。

東洋経済オンラインをお読みになっているビジネスパーソンならご存じの通り、現在あらゆるものがインターネットにつながってインテリジェントになる、インテリジェント・トランスフォーメーションの節目にわれわれは立っているといえます。AIによって仕事がなくなるという人もいますが、一方でデータサイエンティストのような仕事が世界的に花形の職業となる可能性もあり、子どもの頃から英語とともにプログラミングを学習させることは、これからの時代にあったすばらしい政策といえます。

次ページプログラミング教育も英語の「二の舞」に?
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