しかも、プログラミング授業ではパソコンやタブレットが使われます。このITデバイスをうまく英語教育にも使えばこれぞまさに一石二鳥(ちなみにこの四字熟語はもともと英語です)で、ネイティブな先生と1日1時間ビデオチャットで(あるいはVRならさらにすばらしいかもしれません)英語を話す経験ができれば、先に指摘したコミュニケーションの機会は飛躍的に増える可能性があります。
ところが現実には、プログラミング教育に必要なパソコンすら満足に学校で用意できないという課題があります。つい最近、文科省がまとめた資料によると、プログラミング授業の導入状況について、大規模な自治体ではすでに約7割が授業を実施しているにもかかわらず、小規模な自治体では30%を少し上回っただけということで、自治体の格差が懸念されています。
本来地域に関係なく、個人の才能を世界につなげるはずのITが、逆に格差を生むようなことになってはいけないと、大いに懸念を持っています。この問題は行政だけに任せず、われわれIT業界に取り組んでいかなければならないと考えています。
母国語の違いがハンデになる可能性も
と、たまにはIT企業の経営者らしいことを言ってみました(笑)。語学とテクノロジーについてもう1つ、経営的な視点のお話をします。
私の知る限りニュートン物理学というものは世界のどこにいっても同じ実験結果を示し、母国語がなんであれ数学をかじった人であればフェルマーの最終定理が究極の難問であることはわかります。
STEM(Science、Technology、Engineering、Mathematics)の素養は国境や言語に関係なく公平に評価されるスキルなのです。だからこそ、世界に出ていくためのハンデはコミュニケーションにあることは明白で、私の会社でもとくに技術職には語学の習得を頑張ってもらい、いつでも世界デビューしてもらえるよう応援しています。
このことを、視点を変えて捉えると日本など非英語圏には、母国語の違いがハンデとなって世界に出てきていない優れた人材が多数眠っているということにもなります。昨今グローバル企業がダイバーシティーを進めているのも、人材の多様性にあるこうした可能性に注目しているためです。
今回は、私自身が教育というものをライフワークとして捉えているので、つい熱が入ってしまいました。AIなどの発展で、これから物事の基準が大きく変わっていくことは間違いなく、英語のスキルが不要になる時代が訪れるかもしれません。しかし、その時代に求められる教育について議論することは意味のあることです。そして、日本で本当によい英語教育が行われるかどうかの節目のタイミングは今なのです。
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