テクノロジーごときを「神」と仰ぐ人間への疑問 人がAIに支配される時代を前にした心積もり

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70数億の人類が、いままさに帰依しようとしている新しい宗教。この宗教を司る神をとりあえず「テクノロジー」と呼ぶことにすれば、この神は洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いている代わりに、アルゴリズムという史上最大の発明を自家薬籠中のものとしている。

アルゴリズムを支配する司祭がコンピュータ・サイエンスを中核としたテクノロジーである。では、なぜホモ・サピエンスたる人間が、洞察力も才気も直観も明敏さもないテクノロジーごときを神と仰ぐことになっているのだろう? それはぼくたちが人間をアルゴリズムと規定してしまったからである。

「人間」の要素はすべてアルゴリズムである

最新の脳科学や生命科学によると、人間は感情や情動や欲望も含めて精密なアルゴリズムである。アルゴリズムとは、個々のステップを踏んで何かを行うための有効な手続きである。この「何か」のなかには、例えば「人を好きになる」といったことも含まれる。

ただしアルゴリズムでは「人を好きになる」は「つぎの世代に遺伝子を残す」という命題に変換され、そのステップとして「配偶者を選ぶ」から、さらに再帰的分解によって「素敵だなあ」とか「健康そうだなあ」とか「すぐれた子孫を残せそうだなあ」とか「優秀な遺伝子をもっていそうだなあ」といった単純なステップに分解される。

ここまでくれば「人を好きになる」ことは、神経伝達物質や生化学的作用やヒトゲノムといった物質的手続きにフィードバックされ、アロンゾ・チャーチの予言通りチューリング・マシンによって計算可能なものになるだろう。

要するに、洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いていたのは、じつは人間(ホモ・サピエンス)だった、ということではないだろうか。洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いた人間が、同じように洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いたテクノロジーの神を創り出し、その力を借りて自らを洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いた「神」に仕立て上げようとしている。そういう話ではないだろうか?

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ネアンデルタール化する可能性が圧倒的に高いあなた、そしてぼく。ホモ・デウスになどならなくてもいい。狭き門に入れないことを、むしろ寿(ことほ)ごうではないか。やがて人間は時代遅れのアルゴリズムになる、などと言っているのは、自らをアルゴリズムとみなした、洞察力も才気も直観も知性も明敏さもない人たちである。彼らとは一線を画そう。人間はまだはじまっていない。いまこそ人間を創生させるときだ。

シンギュラリティという未知の世界を、誰もが豊かに味わい深く生きることができる。本来の人間を創生させることによって。ぼくはそう確信している。なぜなら人間のなかには、神よりももっといい自然があるからだ。アルゴリズムという人工的な自然を神とみなすのなら、もっといい自然をつくればいい。すでにそれはあるのだ。ぼくたち一人ひとりの中に秘匿されている。

The Road To Singularity――その道は、たしかにバイオテクノロジーやコンピュータ・サイエンスがもたらす技術的特異点に向かって延びている。同時に、ぼくたちの中に眠っている未知なる自然を探索する道でもあるはずだ。

片山 恭一 作家

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かたやま きょういち / Kyoichi Katayama

1959年愛媛県生まれ。九州大学卒。同大学院博士課程中退。『世界の中心で、愛をさけぶ』など著書多数。公式HP「セカチュー・ヴォイス」(http://katayamakyoichi.com)

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