7代目カローラを自動車通が「伝説」と語る理由 トヨタの大衆車はバブル期がすごかった

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僕がもっとも多く走ったのは、山岳路を想定した士別のハンドリング路。かなりきついアップダウンと複雑なコーナーが連続する難コースだ。

そんなコースを、いうならば「足腰が定まっていない」試作車で走るのだから当然厳しい。

いちばん厳しかったのは、まだエンジンマウントが定まっていない状態での走り。加速、減速、コーナリング、アクションを起こす度に、エンジンを中心にパワートレインが大きく揺れ動く。

とくに下りの急なコーナーでのブレーキングなどでは、エンジンが外れて飛び出すのではないか、、そんな恐怖にさえ駆られた。冗談なんかではない。真面目な話し、そう感じたのだ。

重いパワートレインが大きく揺れ動けば、むろん挙動に影響が出る。コントロールは難しくなる。とくに下りでの強いブレーキングは難しかったし、怖かった。

あまり不安だったので、ピットインし、CEに「エンジンが飛び出してしまいそうな感じです。怖い!」と訴えたのだが、「いやぁ、大丈夫ですよ。心配いりません」との答えが、明るい声と笑顔と共に返ってきただけ。

となれば、その言葉を信じるしかないので、怖さを必死に封じ込めて走り続けた。

でも、助手席で僕のコメントをメモしていた方(実験部課長)は、自分でハンドルを握っていないのだから、僕よりずっと怖かったはず。ときどき身体が強ばるのがわかった。

この方、かなりタフな運転もするし、ご自身が厳しい評価者でもあった。が、評価の方向は僕とほとんど同じで、大きな食い違いが出ることはまずなかった。

気心も合ったし、個人的にも親しくさせて頂いた。その絆は今もずっと続いている。

大衆車クラス「世界一」のクルマづくり

7代目の開発時期はバブルの絶頂期。つまり、資金は潤沢であり、求める目標も高かった。直接的な言葉としては出なかったが、同じセグメントのライバルをしのぐ品質/走り、、つまり、大衆車クラス「世界一」を目指していたということだ。

CEはじめ、チーム全員が「世界一」を強く意識していたのは間違いない。その熱意、エネルギーはハンパではなかった。

そして、開発が進むにつれて、高い目標に近づいて行くのが実感できたし、そこに参加していることが嬉しくてたまらなかった。

僕は些細なことまで、とことん意見を出し続け、チームはそれをしっかり受け止めてくれた。全員が真剣勝負をしていた。

同じ時期、僕は日産のP901活動で、R32 型GT-Rの開発にも全面参加していたことは、すでに話したが、こちらもまたチーム全体が熱く燃えていたし、僕も燃えていた。

次ページ仕上がりは最高のものになった
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