「しずちゃん」山里亮太の躍進支えた奔放な人柄 女優、ボクサーへの挑戦全てに意味があった

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その後、しずちゃんは突然ボクシングを始めました。これも彼女の直感によるものです。しばらくするとオリンピック出場を目指して真剣に打ち込むようになりました。

ボクシングを始め、オリンピックを目指していた。写真は2012年(写真:時事通信)

残念ながら五輪出場は果たせませんでしたが、しずちゃんはボクシングに向き合うことで、努力することの大切さを知りました。山里さんが普段から口を酸っぱくして言っていた「努力しろ」という言葉の意味を初めて実感したのです。

一方、しずちゃんのボクシングへの真剣な姿勢を見て、山里さんも少しずつ心を入れ替えて、彼女につらく当たってきたことを反省するようになりました。これ以降、少しずつ2人の距離は縮まりました。

しずちゃんが山里亮太に与えたもの

長い間、漫才をやることからも離れていたのですが、しずちゃんが「『M-1』に出たい」と言い出しました。彼らは2016年に久々に『M-1』の予選に挑みました。そして、2018年にはコンビとして初めての単独ライブを開催しました。

山里さんは、もともと漫才を再開することにはそれほど乗り気ではありませんでした。それぞれの活動が順調に進んでいる中で、わざわざネタ作りや練習に手間がかかる漫才をやる必要性を感じていなかったからです。

でも、漫才を再開するようになって、山里さんは久しぶりに漫才をやる楽しさを味わいました。山里さんが「漫才ってこんなに楽しいものだったのか」と思えたのは、彼らが遠回りをしながらも漫才に立ち返り、お互いに向き合うことができたからです。

南海キャンディーズが漫才を再開するというのは、山里さんのマーケティング的な発想からは出てこないアイデアです。しずちゃんは直感的に「もう一度漫才をやりたい」と思い、それを伝えていました。漫才をやる楽しさを味わったことで、山里さんは初めてしずちゃんの感覚に従う生き方が理解できるようになったのです。

南海キャンディーズというコンビは、山里さん側の視点から語られることが多いのですが、しずちゃん側に立ってその歴史を振り返ると、また違ったものが見えてきます。

山里さんがどんなにつらく当たっても、しずちゃんは自分から解散を考えたことは一度もなかったそうです。山里さんとのコンビ結成、女優業、ボクシング、漫才再開など、しずちゃんは本能の赴くままにやりたいことをやりながら、2人の関係を陰で支えてきたのです。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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