両論併記に逃げるな
それでは自分の意見を持つというのは、具体的に何から始めればよいのでしょうか。
ひとつ目は、つねに直接話法を意識するということだと思います。
「当社はこの事業に参入すべきだ」というのは直接話法ですが、「『当社はこの事業に参入すべきだ』と事業部長のAさんが言っている」というのは間接話法です。同じことを言うのでも間接話法の場合は根拠があるようでいて、直接話法と比べ迫力に圧倒的に欠けます。
直接話法は根拠がありません。でも自分の意見を言うという迫力が、ロジカルさを超えて、さらに補って余りあるものにするのだと思います。
ふたつ目に意識することは、両論併記に逃げないことです。
両論併記とはよく社内資料でも見かけます。この事業に参入する場合にはこういうメリットがあります。その一方でこういうデメリットもあります。一方で参入しない場合にはあんなメリットがありますが、でもこんなデメリットもあります。と続きます。なるほど、よく整理されているふむふむと。で次に頁をめくると……終わっている! 結局、君はどうしたいんだよ!というやつです。
もちろん意志決定をするのは、たいていの場合、資料を作成した人ではなくて資料をオーダーした人のわけですから、作成者にしてみれば「そんなの俺の仕事じゃないし」というのもそのとおりです。
でも実際のところ、分析を発注した上司も確固たる信念を持っているわけではありません。発注された側もそれを逆手に、両論併記に逃げずに思い切ってスタンスをとってしまえばいいと思います。そもそも自分の意見が実現に至るというのは、仕事の醍醐味です。仕事における実力とは自分に与えられる以外の仕事をいかにこなしてきたかで、長い期間で差がつくものです。それがストレッチであり、与えられた仕事の幅をそのままの幅で返していたら、いつまでも実力は上がりません。
私のキャリアの前半生はコンサルタントでしたが、その若手時代に驚いたことのひとつが、できるとされるコンサルタントは、みな自分の意見をやたらに言うことでした。コンサルタントとはファクトとロジックで物事を切り刻み組み立てて、なぜそういえるのかを延々と突き詰めるような仕事だと思っていたのに、かなり意外感を持って受け止めました(でもその背景は徹底した分析があり、言っている意見もいわゆる思いつきではなくて「仮説」だと知りました。このエピソードは長くなるので、今後、機会があれば書いてみたいと思います)。
今、思えば、そのバックボーンは究極的には、自分が当事者だったらどうするかを考えて、自分の意見を言うことにあると思います。つまり自分の意見を言うことは、当事者意識を持つこととほぼ同義であるといえます。
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