「自分の意見を言う」のはなぜ大事なのか? 逆説的コミュニケーションの技術

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自分の意見を言うことはとても難しいものです。なぜなら自分の意見は客観的ではないからです。そして説得的ではない(ように思える)からです。

もう少し具体的に考えてみます。

人を動かしたいときに必要なことは何でしょうか。まず挙げられるのは、主張に対する根拠づけです。そしてよい根拠の条件とは、その根拠が「客観的」であるか、根拠そのものが「説得的」であるかどちらかです。

前者の「客観的」は新聞や雑誌や公表資料など、一定の公共性があって引用に耐えうるものを意味します(新聞や雑誌は偏向しているではないかという批判もありそうですが、そういう次元の話をしているのではなく、あくまで客観性の程度の問題です)。

そして後者の「説得的」はある種の権威です。社長が言っているのだからやれとか、あれをやると部長の逆鱗に触れるとかそういうたぐいの話です。

いずれもテクニカルには必要な要素です。ロジカルコミュニケーションの超基本としていちばん先に出てくるのは主張と根拠の関係です。主張したいことがあったら、つねに根拠をつける。その内容はできるだけ客観的なものか、説得的なものであるべき。これは王道です。

だから私たちは、自分の意見を言うことに躊躇するのだと思います。「自分の意見」は少なくとも客観的ではありませんし、権威もありません(すなわち意見そのものが説得的でもありません)。

 確実にコントロールできるもの

でも、そんなロジカルコミュニケーションの王道には、致命的な欠陥があります。何かというと単純な話で、どんなに主張と根拠で頑張っても、結局、未来のことは誰もわからないのです。未来は「未だ来てない」から未来です。先のことなど誰にもわからない。

企業が新規事業に参入するという意志決定をして、その結果、うまくいったとします。でもその成功は、自分の意志だけで実現できたわけではありません。別に謙虚の勧めではなく、事実としてそうです。外部の事業環境、競合の存在、顧客の存在。そういった自分以外の周囲のコントロールできない多くの諸々が、自分の成功に向けてプラスに回っていくから成功に至るわけです。

要するに成功の大部分は、自分のコントロールできる範囲の外側にあります。だとすると、「この事業に参入すべきだ」という主張に対し根拠をいかにつけようとも、その成否が未来である以上、どこまでも不透明です。

成否が不透明な中で、確実にコントロールできること。それは自分の意志です。だとすれば、自分の意志や志、思いがいちばん説得力があるというのは、非論理的なようで、実はいちばん論理的な帰結でもあります。

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