課題先進国日本の「人生100年時代の社会契約」 「やってみなはれ」精神で少子高齢化を考える
少子高齢化は新たなビジネスの機会も生むのであって、それを生かす工夫であるイノベーションと、イノベーションを実現する人材を大切に育むことが、高齢化社会を支える制度が維持できるかどうかを左右する条件なのである。
高齢化は幸福な社会にとってプラス
以上のような経済的条件とはひと味違う論点を提起したのが、ワシントンを拠点に活躍するジャーナリストであるジョナサン・ラウシュ氏である。
ラウシュ氏は彼の近著『ハピネス・カーブ』の議論を敷衍(ふえん)して、高齢化を幸福な社会にとってプラス要因として積極的に評価すべきだと論ずる。
高齢者は衰えて不幸になると思われがちだが、それはステレオタイプにすぎない。実は加齢そのものの幸福観への影響はプラスであり、ほかの変数を制御すると人の幸福感は50代前半くらいを底にしたU字型を描く。これは世界中で見られる傾向で、類人猿にすらそういったことが観察されるという。
しかも日本を含む世界で健康状態がかつてより改善しているので、今日の75歳の日本人は、1950年代の65歳と同等かそれより若々しいくらいである。
高齢化は問題ではない。天の恵みなのだ。問題なのは、時代遅れの雇用、年金、教育等の諸制度と共に、我々自身の意識だ。求められているのは人類史上前例のない社会的機会を生かすことであり、そのためには、職場でも社会でも年齢による差別を取り払い、就業や教育といった機会を増やすことなのだとラウシュ氏は論じる。
暴力や貧困といったこれまで人類をずっと悩ましてきた問題は、もちろんなくなったわけではない。だが平和で豊かなら幸福になれるのかというと、それほど簡単ではない。
よく知られているのが、ある程度の所得水準になるとそれ以上所得が増えても幸福に結び付かないというイースタリン・パラドックスと呼ばれる現象である。
確かに考えてみると、高度成長が始まった1960年代から今まで、日本経済は何倍にもなり、それによって実に多くの問題が解決できたのは間違いないが、だからといって経済規模に応じて日本人の幸福観が高まっているというわけではない。
また、過去20年ほどの日本経済の停滞は明らかだが、さまざまな意識調査の結果から判断すると、日本人の幸福観が低下したとは言えず、伝統的に豊かな諸国の中では幸福度が低かった日本だが、その面ではむしろ向上しているくらいなのである。
どうやら日本に求められているのは、新たな豊かさのモデルを示すことなのだろう。
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