日本と台湾、「チョコ」が結ぶ長く深い意外な縁

「森永村」で日本人がカカオをつくっていた

台湾は、4月〜6月はカカオ収穫の最盛期を迎える。屏東県・東港にて(筆者撮影)

台湾が大好きな日本人は多い。日本から気軽に出かけられる国の1つであり、グルメや歴史を楽しめる。そんな人気観光地・台湾が、カカオの産地であることを知る人は少ないだろう。

カカオは言わずと知れた、チョコレートの主原料。アフリカや南米などで育つイメージが強いので「カカオって台湾でも獲れるの?」という声が聞こえてきそうだが、台湾南部の屏東(ピントン)県は、北緯22度を少し超えるくらいの位置にあり、カカオ栽培ができる。4月から6月は収穫の最盛期だ。

それにしても、南米原産で、熱帯の限られた環境下でしか育たないカカオが、なぜ台湾にあるのだろう。どのように台湾に渡ったのか――。歴史を探ると、日本統治時代の台湾と、日本人の姿が浮かび上がってきた。

日本統治時代、森永の創業者が台湾へ

1927(昭和2)年2月10日。大きな志を持って台湾へ渡った1人の日本人がいた。森永製菓の創業者、森永太一郎である。目的はカカオ栽培ができる土地を探すこと。森永氏は国内のチョコレート需要の高まりを受け、カカオを国内で栽培し(当時台湾は日本統治下だった)日本の未来のために、チョコレートの自給自足を図ろうとしたのだ。

森永製菓の創業者 森永太一郎 (画像提供:森永製菓)

総督府をはじめ、台北から台東まで、40日間にわたって休むことなく訪問・視察を続けた太一郎は、カカオ栽培のための基盤を作って帰国。その事業を当時の常務取締役、大串松次氏に引き継いだ。

遺志をついだ大串氏は、1937(昭和12)年2月に台湾へ渡り、栽培方針を固めて、屏東に約1万8000坪、台東の阿塱衛(アロエ)地区の農地を開墾する許可を得た。1939(昭和14)年には「森永台湾殖産会社」を設立。屏東には新しく研究所や実験農場を構え、カカオ栽培が本格的に進められた。

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