「ネット依存」で失った4つのもの 私は85点でネット依存症

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たとえば、私とAさんが対面で打ち合わせをしたときでした。机の上に置いてあったAさんの携帯電話が振動して、メールを受信しました。Aさんは私と会話を続けながら、片手に携帯電話を持ちながらメールの内容を確認して言いました。「すいません、ちょっと電話させてもらっていいですか?」と、 私に断りを入れて遠く離れた人と会話をし始めました。5分後に打ち合わせ室に戻ってきて、「えーと、すいません、どこまで話しましたっけ?」 と再び私との会話を続けようとしたのです。

1度会話の腰が折られると、なかなか元に戻すのに苦労します。私とAさんの価値ある時間の15分は、その回復のために失われたはずです。ネットの利用時間が増え、画面と向き合う時間が増える中、打ち合わせは貴重な時間だったはずです。それなのに、目の前にいる私より、遠く離れた人を優先することに違和感を覚えたのでした。

ネット依存で失ったもの(2):ひとつのところにとどまり考えること

信じられないことに、私は以前よりも忙しくなっています。ネットは仕事を減らしてくれるという売り文句はどこへ消えたのでしょうか?

確かに連絡や作業は短時間で片付くようになりました。でも、ネットは忙しさをもたらす大きな原因になります。たとえば、私はメールを人と会話しながら確認します。添付されたリンクのウェブサイトを次々に参照し、社内外のあらゆるクラウドサービスを活用しながらメールを確認、ときに返信します。ポケットで応答しろ!と振動する携帯電話に応答しながら、社内メッセンジャーにたまった質問に返答します。こんな感じであらゆる画面を何度も行き来して、複数の要件を同時に処理するという集中力のバラまきをしているのです。

そして「俺は仕事ができる!」と思い違いを起こしては、「あれ! この午前中にいったい何をしていたんだろうか?」と自己嫌悪感を覚えるのでした。

ネット依存は気を抜くと、休みなくあちこちクリックしていきます。決して長い間、ひとつのところにとどまり深く考えることはありません。価値があるないにかかわらず、貴重な集中力をバラまき、消費してしまうのです。

ネット依存で失ったもの(3):余裕をもって考えること

メールは世界中で1分間に200万件も送信されるほど、最も依存されやすい存在です。私は心理的にメールを少しでも見ない時間が発生すると、世の中からとり残される恐怖を感じます。メールをすべて把握できないことにいらだちを感じます。恐怖やいらだちを感じると、日常の余裕を失います。余裕をもって深く考えることができなくなります。

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