服が語る「フリーダ・カーロ」凄まじい生き様 ブルックリン美術館の展示で見た光と影
カーロは1907年にメキシコ市コヨアカンで生まれ、生家は「青の家」として知られる。6歳のときにポリオにかかり、18歳のときには乗っていたバスに路面電車が追突する事故に遭い、脊椎と右脚に大ケガを負った。
建築系の写真家だった父親のギリェルモは、事故から数カ月後にフォーマルなヨーロッパスタイルの彼女のポートレートを撮影しており、その写真は本展覧会でも展示されている。カーロは濃い色の長いシルクのドレスを身に着け、手には1冊の本を持っている。髪は後ろでまとめられ、表情は険しい。彼女を苦しめた右脚の半分は隠れている。
夫は20歳年上の偉大な画家、ディエゴ・リベラ
本展覧会は、写真展としても興味深い。150点以上の写真には、厳格で冷静で、細部にこだわるカーロの性質が記録されている。民族衣装のテワナを身にまとったスタジオ写真もあれば、イモージン・カニンガムが撮影した、濃い色のマントに先コロンビア期の大きな翡翠のネックレスをつけた写真もある。
1929年に結婚した夫のディエゴ・リベラは、20歳年上で、同じく偉大な画家だった。リベラは若き妻がテワナの衣装を着用するのを喜んだが、それはフランスに憧れるブルジョワ階級に対する批判でもあった。
ブルックリン美術館の展示からは、カーロ本人もテワナの美しいアンサンブルを好んでいたことがわかる。白いレースのブラウスの上に羽織ったストライプのショール、シルクの花模様が織り込まれたつなぎの服。スカートは鮮やかな黄色と豊かなインディゴブルーだ。
こうしたファッションには深い意味がある。ロングスカートはのちに切断することになるやせた右脚を隠し、ゆったりしたブラウスは、20回近い手術を受けた脊椎を支えるコルセットと矯正具のためだ。