服が語る「フリーダ・カーロ」凄まじい生き様 ブルックリン美術館の展示で見た光と影
ブルックリン美術館での展覧会も、V&Aで開かれたカイリー・ミノーグやピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイといったポップスターのエキシビションの流れをくんだ内容になる可能性は十分あると、私は恐れていたのだ。
だが実際は、それらよりも綿密なものだった。ブルックリン美術館のキュレーター、キャサリン・モリスとリサ・スモールは、新たに驚くような映像や美術館所蔵の先コロンブス期の美術品を多数追加し、V&Aでの展示を掘り下げつつ広がりを持たせた(壁に貼られた説明文や表示が英語とスペイン語の2カ国語なのもいい)。
物品350点以上に対し、絵画は11作品のみ
メキシコ市が提供した服はとてつもなく優雅で、とりわけオアハカ州テワンテペクのスカートとブラウスはすばらしい。物品が350点以上展示されているのに対し、絵画は11作品のみだ。
カーロの服は、著名画家の遺品というだけでなく、彼女の主要な功績だとモリスとスモールは指摘する。ジュエリーや脊椎を支えるコルセットにも同じことが言える。カーロは10代で交通事故に遭っており、展覧会では彼女の障害にとくに焦点が当てられている。
カーロのファッションには芸術的な重要性があるのか、それとも単に伝記的なまやかしなのか? カーロのファンが彼女のペルソナに熱烈な愛情を抱いていることを考慮すれば、スカートやショールにどう表れているのかを考える価値はある。
カーロは自己開示のパイオニアであり、アメリカ人とヨーロッパ人、そしてメキシコの前衛的な芸術家たちをつなぐ役割を果たした。ティナ・モドッティやカール・ヴァン・ヴェクテン、イモージン・カニンガム、エドワード・ウェストンといった著名写真家による撮影にも頻繁に臨んだ。
本展覧会が提示するカーロの真の功績は、マルセル・デュシャンのように作品をイーゼルの上にとどまらず自宅やファッション、そして世間との関係性にまで広げたことだ。それによって、よくも悪くもカーロは現代にも受け入れられ、また、彼女の共産主義の信念と彼女にまつわる今日のグローバルな業界との単純な対立が複雑化している。