「方言を話す人」がなぜか信用されやすいワケ 「口下手」でも、それを生かせば大化けする
「自分は口下手だ」。そう自覚して悩んでいる人は、会議や商談、雑談、プレゼン、結婚式のスピーチなどですらすらと流暢に話す人を見て、うらやましく思うことだろう。しかし、「流暢に話す」ことは「話が上手」とイコールではないと言うのは、博報堂でスピーチラインティングなどを行うひきたよしあき氏だ。
元来、口下手の人が目指すべきところは、「流暢に話す」ことではなく「重みのある一言」を放つこと。口下手だからといって、別人にでもなったように「話し方」そのものを変えてしまう必要はないと知れば、ハードルがずいぶんと下がる。
“流暢に話す”がゴールではない
みなさんは、テレビの国会中継やニュース番組などで、政治家の答弁に心を動かされた経験はありますか? 「ない」と答える人が大半だと思います。
「立て板に水」という言葉があります。弁達者で言葉が流暢にすべる様を言う肯定的な意味の言葉なのですが、残念ながら「立て板に水」のように話すことと「相手が深く理解する」ことは同義ではありません。
弁舌が爽やかすぎて、ロジックが完璧すぎて伝わらないこともたくさんある。これがコミュニケーションの不思議なところです。
明治時代、坂本龍馬や板垣退助など、土佐出身者は不思議と雄弁な人が多かった。その理由の1つに、”土佐弁”があるといわれています。
「日本は、このままではいかんぜよ」
「夜明けじゃ! 新しい日本の夜明けぜよ!」
と、坂本龍馬が叫ぶ。
もし、これが「日本は、このままではいけません」「夜明けです。新しい日本の夜明けです」と標準語で語っていたら、はたして、多くの人の心を震わせたでしょうか。
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