「おなか減っちゃったよ~」「眠いでしょ、皆さんもね」などと子どものように茶化すイチロースタイルのユーモアも随所にうかがえた。「イチローは面白い。愉快。一言でバシッと決めるし、ちょっと小ばかにするようなコメントでも笑いを取る。自分を笑い者にする方法も知っているし、ほかの人たちを笑いの輪の中に巻き込む」(MLB.com)。
会見やインタビューでは通訳をつけ、英語で話すことはあまりないが、日頃のチームメートとのコミュニケーションでは英語で軽口をたたくことも多く、インタビューでチームメートの口真似で冗談を言い、爆笑を誘ったこともある。オールスターに出場した時期には、試合前に、クラブハウスで、アメリカンリーグの選手たちを前に、「放送禁止用語」を連発するクレイジーな英語スピーチを毎年行い、伝説となっていた。キャンプで着用した奇抜なメッセージやイラスト入りのTシャツの数々が話題になるなど、その独特で皮肉の効いたユーモアとウィットはよく知られるところだ。
「禅と迷信と徹底したこだわりの交差点に住んでいる」(ESPN)と称されたイチローの魅力は「自我」や「私欲」を超越した、たたずまいにもある。会見の中で、彼はこう言っている。
「ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることがいちばんの喜びに変わってきたんですね。その点でファンの存在なくしては自分のエネルギーはまったく生まれないと言ってもいいと思います」
「二グロリーグ」との接点
アメリカでは、ボランティアや人助けをすることに積極的な人が極めて多い。これはあらゆるスポーツチームや選手のDNAにも埋め込まれており、チャリティーや寄付などの習慣が根強く、スポーツ選手の社会貢献欲も非常に高い。こうした環境に身を置くうちに、自分のための野球から、ファンに喜んでもらうための野球という「利他視点」に変わったのではないだろうか。
彼のこうした側面を伝えるエピソードがある。1920~1950年まで存在していたアフリカ系アメリカ人で構成された「ニグロリーグ」の伝説的プレーヤーで、のちにメジャーリーグのコーチともなったバック・オニール氏と親交を結んだイチローはカンザスシティーに遠征するたびに、その経験談を聞き、交流を深めた。
オニール氏が設立に一役買った同地にあるニグロリーグ野球博物館にも足を伸ばし、熱心に展示を見学。その1年後に再訪した時、おもむろに小切手帳を取り出し、博物舘史上最も高額な寄付をしたのだという。アメリカで差別や偏見と闘い、苦労を重ねた黒人選手と、小柄で決して体格のよくないアジア人選手である自分の苦闘を重ね合わせたのかもしれない。
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