日本で金融の新サービスが生まれにくい事情 フィンテックははたして今後どうなるのか
金融機関は医者ではない
言うまでもないことだが、お金は、何をするにも必要になってくる極めて重要な存在(概念)だ。
にもかかわらず、日本ではいまだに“お金の話題”はタブー視されがちだ。果たしてあなたは、「資産運用どうしよう」「保険をどうしよう」「お前の給料いくら?」といった話を、友達や同僚とするだろうか?
結婚、住宅ローン、相続、退職金……。お金にまつわるいろいろな人生の場面において、相談できる相手がいない以上(両親には相談できるかもしれないが、世代が違うので、感覚がズレることは否めない)、結局は金融機関へ駆け込む人が多いはずだ。
しかし、金融機関は医者ではない。彼らは商品を売る側なので、彼らなりの経済事情、つまりは売り手側の事情によって「さまざまな商品」を勧めてくる。要するに、そこに対等な関係は成立し得ないということだ。
誤解しないでいただきたいのは、「金融機関がおかしい」わけではない、という点だ。損するものと得するものがあれば、経済活動の常として「得するもの」を売らざるをえないのは当然で、彼らに対して「おかしい」というのは、「構造としておかしい」ことになるからだ。
「金融」における課題は、ほかにもある。
たとえば、公明正大かつ透明性が担保されるべきとされる株式市場は、もはや高度なアルゴリズムを用いた高頻度取引(ナノ秒単位でプログラム同士が取引を繰り返し、その差分で利ざやを稼ぐ)が全体の70%以上を締めているとされ、技術力や資本力や専門性を持たない一般ユーザーが伍して戦うことは、およそ無理に等しい状態といえる。