「公開自殺会議」で遺族が語ったそれぞれの過去 「自殺はダメ」とは言い切らない理由
「13年経って、母親が死んだことが大丈夫なときもあれば、そうじゃなくなるときもある。母が亡くなってから、ずっとその日の翌朝を生きているような気持ちです」(岡さん)
弓指さんも同じような思いを抱えている。芸術学校で絵を学んでいた2015年10月23日、母親が自ら命を絶った。棺桶には手紙と「死者の魂を持った鳥」を描いた絵を入れた。その数カ月後、この鳥をモチーフにして描いた「挽歌」が学校の成果展で金賞を取り、画家としてのデビューを果たす。昨年には、1986年に18歳で命を絶ったアイドル・岡田有希子さんの死をモチーフにした作品「Oの慰霊」で第21回岡本太郎現代芸術賞の敏子賞を受賞するなど、「死」に向き合った作品を描いている。
「自殺の呪いみたいなものがあって、それから逃れることはできない。自分の中で、母親が死に続けている。その呪いを打ち返す手段として僕は芸術を選んだ」
誰もが表現者にはなれない
母の死も自らの血肉として活動し続ける弓指さんだが、誰もが表現者になれるわけではない。自殺した家族を思い出し、やり場のない思いを抱えながら自分の中に閉じこもる人もいる。そんなときに、「表現」の一つになり得るのが「人に話すこと」だという。
語る場の一つに「遺族会」がある。自死遺族らが集まり、悲しみを話し、分かち合う場となっているだけでなく、集まることそのものがセラピー的役割を果たすこともある。
ただ、どうしても足が向かない人もいる。
「遺族会って全然話さない人もいるし、基本的には暗い場所。僕自身も母親が死んで絶望の淵に立っていたときに『自分よりつらい人を見たい』と思って訪れたこともある。他の人の話を聞いて、『人にはこんなにもつらいことがあるのか』と知るだけで楽になった」(弓指さん)