「沖縄をなめるな」に若者たちが見せた連鎖反応 分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(4)
沖縄では、道路沿いに立って車の運転手に手を振るスタンディングという選挙戦術がある。年配者は「ストップ辺野古」「安倍政権を許さない」など直接的で硬いプラカードを掲げる人が多いが、そのたびに「沖縄の未来を明るく」などの柔らかい標語に替えてもらった。
候補者の演説する場所も、従来は「ポイント演説」などと呼ばれていたが、SNSでは「トークライブが見られますよ」など、興味のない人でも出かけていきやすい表現に変えて発信した。幾度となく陣営の選挙プロと衝突したが、最後は任せてもらえるようになった。LINEのアカウントへの登録は9000人に達し、候補自身のツイッターには2万人のフォロワーがつくようになった。
9月30日の投開票日。玉城氏は39万票を超える過去最多の票を獲得、自民党、公明党が推す候補に約8万票の大差をつけて当選した。地元紙の世論調査の結果からも、ほぼ互角の戦いとみられていたが、フタを開けてみれば浮動票が大量に流れ込んできたのは、若い世代の雰囲気づくりに負うところが大きい。
徳森さんたち若い世代を取材していて、感じたことがある。政治に関わる若者も、そうでない若者も総じてウチナーンチュとしての誇りを持っていることだ。
海外や県外で沖縄の置かれた理不尽な状況に思いをいたし、アイデンティティーに目覚めて声を上げ始めた。これは基地容認派の嘉陽さんとて同じだ。基地問題に引きずられるより、生活や経済をより重視するのは郷土を愛するがゆえだ。
そして、戦後世代との大きな違いは、本土(ヤマト)の人間に対する意識だろう。戦後世代はヤマトに対し苦言を呈することを躊躇するのに対して、若い世代には、ためらいがない。
「沖縄をなめんなよ!」と鼓舞
徳森さんの分析には説得力がある。
「それは、私たちがコンプレックスを知らない世代だからだと思う」
シニア世代は長いこと、目に見える差別を受けてきた。沖縄戦では日本兵にスパイ扱いされたり、避難していた壕を追われたりした経験から、本土に対するトラウマがある。
戦後もアメリカ軍基地がヤマトから移転してくるなど構造的な差別感を味わっただけでなく、ヤマトに行けば方言や島育ちということで侮蔑された経験を持つ世代だ。アメリカ軍基地を押し付けられることにあらがいながらも、その矛先はけっしてヤマトには向けない。
その理由の1つには、アメリカ軍基地が他県に移設されたら、その土地の住民に自分たちと同じ思いさせてしまうことがはばかられたからだ。もう1つ、ヤマトに対してモノを言えない劣等感の裏返しでもあるというのだ。
これに対して若い世代は標準語も使いこなせるし、安室奈美恵さんを筆頭とする県出身のアーティストらの出現で、「沖縄出身」が憧れの対象となり差別を受けた経験がない。ヤマトに向けても堂々と対話を持ちかけることができる素地につながっている。
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