蒲田の小さな鮨屋が世界的名店になったワケ 世界的企業にも通じる「顧客価値」の再発見
どんな料理人も“スペシャリテ(独自の特別な1皿)”を持つものだが、中治は季節ごとの素材を吟味し、江戸前ずしの歴史をひもときながら、現代的な手法で組み立て直し、小さな1貫のすしに新たな物語を作り出していく。
たとえば11月、白トリュフの季節も終わりを告げようとする頃、冬の到来を告げる鱈(タラ)の白子を中治は組み合わせる。白トリュフはイタリア・アルバ産の最高級品。動物性脂肪と相性の良いこの素材を、半熟に仕上げた温かいままの白子と合わせ、豊かな香りが鼻腔を刺激する、この季節だけの1貫が完成する。
近年、海外からの高額買い付けで価格が高騰している近海物の黒鮪(クロマグロ)も、中治はまったく躊躇することなく大胆な仕事を施す。お客たちの目の前で、驚くほど大きく切り分けたすしの“サク”を、赤身、中トロ、大トロに切り分けると、その日、その季節の脂の乗り方に合わせ、軽く湯引きして長年注ぎ足してきた煮きりしょうゆで“ヅケ”にする。
脂の多い大トロは、さらにわらの炎であぶり、表面の脂を程よく飛ばしたうえで、香ばしさを加えることで調和の取れた味を引き出す。
中治の店では、生以外のネタは使わない。その季節、週ごとに変わる素材を見極めながら、異なる塩梅で仕事を施し、時に脂の香りが良いと見立てると、塩だけでトロを食べさせることもあるが、いずれにしても冷凍保存は使わずに毎回の使い切り。
最高品質の鮪の仕入れ値が、1キロ当たり5万円以上することを考えれば、自信と大胆さがなければ、ここまでのことはできない。
今でこそ豊洲に集まる希少素材の高騰から価格を上げた初音鮨だが、中治はずっと1人1万5000円という価格を10年以上守り続けた。
“明日はない”との覚悟がもたらした、顧客価値の最大化
もっとも、中治が日本中から最高の素材をかき集め、最上級の素材に、さらにほかにはない創意工夫(その多くは失敗作で、何度もやり直してきたという)を施し、“極限までおいしさを追求しよう”と、採算を度外視しているかのようなすしを提供し始めたのには、ある特別な理由があった。
2005年、女将であるみえ子の右乳房に、ステージⅢ後期の乳がんが見つかったのだ。5年生存率は10%以下。乳がんの権威と言われた慈恵医大の専門医の見立ては厳しいものだった。
今から13年前のこと。がん治療は現在ほど進んでおらず、13本のうち11本のリンパ管を右脇から取り除いたみえ子は、極めて厳しい抗がん剤治療を乗り越えねばならなかった。そんな様子を見た中治は、ひととおりの治療を終えて自宅へと戻ってきたみえ子と“2人だけ”で、最後の営業を行い、その食事の舞台を“可能な限り最高”にしようと誓った。
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