蒲田の小さな鮨屋が世界的名店になったワケ 世界的企業にも通じる「顧客価値」の再発見
たった2人だけ。調理補助も掃除・洗濯の手伝いも雇わず、弟子の職人もいない。東京都大田区は蒲田。東京と川崎市の境目にある小さな夫婦鮨が、『ミシュランガイド東京』に10年連続二つ星で掲載され、1年以上先まで予約が取れない人気沸騰の世界的名店だと言われても、外食グルメ界隈に詳しくない人は何かの冗談ではないか?と思うかもしれない。
2018年11月から業態を変え、銀座でもなかなか見られない高級店へと変貌したが「蒲田 初音鮨」が、すしをよく知る食通たちはもちろん、同業のすし職人、あるいは魚を扱う仲買人たちから高く評価されてきた理由は、驚くばかりの“顧客価値の高さ”を提供してきたからにほかならない。
初音鮨を切り盛りするのは、明治の時代より125年続いてきたこの店の四代目親方・中治勝(かつ)と、女将のみえ子。2人が提供する“尋常ならざるすし”は、誰が食べても「おいしい」と唸る以外、言葉が出てこないほどのすばらしいものだが、おいしいというだけでは蒲田まで高級ずしを食べる客を呼ぶことはできない。
銀座ではなく、蒲田まで通いたい、困難な予約を獲得してまで食べたいと思わせるだけの高い顧客価値。その創出には、いくつかの偶然も重なっているが、改めてこの店の成り立ちを俯瞰してみると、アップルやグーグル、アマゾンといった世界的企業が突出した成功を収めてきた背景に通ずる、そして硬直化した組織が見失いがちな精神があった。
筆者が1月25日に上梓した書籍『蒲田 初音鮨物語』(KADOKAWA)では、中治夫妻の半生を通じて、世界的企業の成功と衰退の歴史にも通じる普遍的なビジネスの教訓と衰退を描いている。小さなすし店の中で起きた“イノベーション”とは――。
世界最高の希少な素材を惜しげもなく施す“仕事”
中治のすしが評価される理由はシンプル。圧倒的においしく、またほかではない体験が得られるからだ。
中治は過去13年にわたって、握りずしだけ(2018年3月まで。現在は料理も提供)で、四季折々を表現する”コース料理”を提供してきた。一般的にはすしネタとして使われない素材を、一般的なすしネタとは異なる手法で調理して握る。
鱧(ハモ)の季節になれば、その鱧をまだ温かさの残る酢飯と合わせ、口の中でモグモグとかみしめるたび、ジューシーな鱧の肉汁、それに中治がほどよく引いた塩とスダチがちょうどいい塩梅で口の中においしさのハーモニーを奏で始める。
まるまると太った牡蠣(カキ)を酒蒸しにし、その内臓を取り除いた部分に程よい熟成感のみそを詰めてシャリに合わせると、牡蠣のうま味を100%愉しめる一貫として、こちらもかむほどにうま味が広がる。
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