こんまりの片づけ番組が日本発ではない理由 ネットフリックスに学ばねば取り残される
③「スポンサーを口説けない」と言われそう
民放テレビ局において大切なのはもちろんスポンサーである。そして視聴率を求められるのは当然だ。だから、「この企画で視聴率が何%獲れるの?」と聞かれたところで、答えようがない。
筆者の個人的な予想にすぎないが、広告を売ってきてくれる広告代理店も、この片づけ番組のスポンサー枠を売る自信はないに違いない。だからこそこの企画は、有料動画配信であるネットフリックスで成り立ったのかもしれない。ひょっとすると、近藤麻里恵さん自身のグローバル展開戦略において、アメリカのご家庭の片づけを指導してみたいという思いがあったのかもしれないが。
④ 「地上波はこうあるべき」という考え方
知らず知らずのうちに日本のテレビ番組制作に関わる作り手は、「テレビ番組はこうあるべき」と決めつけているのかもしれない。もちろん伝えるのには大義が必要だ。だが、いつの間にか「テレビ番組は、こんな感じ」「こうすべき」という暗黙のルールに支配されているきらいもある。同じくネットフリックスの「テラスハウス」のように日本の制作陣が作る方法論もあったかもしれない。
こんなにシンプルな番組で、ネットフリックスの視聴者の心をつかんでいるのは、個人的に本当にうらやましいし、悔しい。
ネット時代だからこそできる構成の妙
ネットフリックスに学びたい番組企画はほかにもある。ネットフリックスは、昨年末に「ブラック・ミラー:バンダースナッチ」というドラマも配信した。これは近未来のSF物語で、これまでにシリーズ4まで制作されている。最新作の舞台は1984年。ゲームクリエーターを志す青年ステファンが、あるゲームメーカーに小説が原作のアドベンチャーゲームの企画とデモを持ち込みに行くところから始まる。
特質すべきポイントは、ドラマの最中に、視聴者が「どっちのカセットテープを聴く?」とか「オファーを受ける? 断る?」といった選択肢を選ぶことで話が展開していくことである。僕は、何度も選択と行き来を繰り返しながら全部を見た。それぞれの展開が面白い。ネタバレするのでこれ以上詳しくは解説しない。
実は、このような視聴者に“選択”をさせるドラマの考え方は古くからあった。多数決で行ったり、デジタル放送の「dボタン」を使ったりなどさまざまな試みだ。
「ブラック・ミラー:バンダースナッチ」は脚本の作りから、それ専用にできていて、自然な展開で楽しめたのには驚いた。とくにネットなのでそれまであった多数決ではなく、視聴する人間によって別のストーリーが用意されている。これがネット時代だからこそできる構成の妙である。
ゲームの世界が舞台というのもちょっとやられた感じである。ついつい僕らは、恋愛もののドラマなどでこのような“選択”をしそうになるが、ゲームの世界が舞台なら、そもそも選択は自然である。そう、ゲーム自体が選択の連続なのだから、展開に不自然さはどこにもないのだ。
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