こんまりの片づけ番組が日本発ではない理由 ネットフリックスに学ばねば取り残される
また、主人公のステファンが自らの人生が誰かに操られていることを察するセリフまである。つまりそれは、操っている僕ら視聴者もドラマの中に引き込んで一緒に物語を作っているのだ。まさに、ネットだからこそできるドラマである。
このようなドラマを現実化できたネットフリックスのフットワークの軽さに脱帽した。しかもこれまでシリーズ化していたドラマの最新作での試みだ。
ネットフリックスにはできる理由
なぜネットフリックスにはできて、僕ら日本のテレビマンには、ドキュメンタリー「KonMari〜人生がときめく片づけの魔法〜」やドラマ「ブラック・ミラー:バンダースナッチ」が作れないのだろうか?
筆者は2つの側面があると分析している。
ネットフリックスの制作陣には、「べき」という考え方がないように見える。これはアメリカ企業全体に言えることかもしれない。カルチャーは大切にするが「べき論」がないことが多い。筆者も数多くのアメリカ企業を見ていてそんなことを感じる。
2つ目が、グローバル展開における予算の差だろう。
ネットフリックスの2018年の売上高は日本円で年間1兆7000億円超、本業の儲けである営業利益は1700億円を上回った。全世界で1億3000万人以上の会員を抱え、四半期に数百万人単位で会員が増えている。
イギリスの『エコノミスト』が報じたゴールドマン・サックスの試算を引用すると、ネットフリックスの年間番組予算は1兆4000億円にも上るという。これは在京のテレビ放送局の合計の制作予算をはるかに超える。日本テレビとTBSの制作費が年間900億円台なので、まさに桁違いだ。
予算が多ければ、さまざまなチャレンジもできるのは当然。まだまだ実験的なこともいくらでもできるのだろう。独自制作のコンテンツには、地上波の番組のように、再放送回数に制限もない。基本的にコンテンツがどんどん積み上がっていく。
「失敗が許されない」という前提に立つと、チャレンジ精神が萎縮し、過去の成功にとらわれてしまうのはテレビ業界に限らない。すべての業界において言えることだろうと思われる。視聴者が本当に見たいものは何なのか。通りやすい、通しやすい企画ではなく、視聴者が見たい企画をビジネスモデルに照らし合わせながら真剣に考えていかなければ、日本の映像コンテンツ業界はどんどん取り残される。
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