安室奈美恵が「平成最後の歌姫」になれたワケ 彼女は山口百恵のような「生きる伝説」だ

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小室哲哉プロデュースでブレイクしてから、徐々にアイドルとしてのバラエティ番組出演を減らし、実力派アーティストという地位を確立。セルフプロデュースをはじめてからは、より一層ライブ活動に専念する姿勢を示し、歌番組への出演も完全になくし、CM以外ではテレビで安室奈美恵を拝める機会がまったくなくなった時期も長かった。

SNSの個人アカウントをもつこともなく、オフィシャルのアカウントでライブ終了後の写真が上がってくる程度で、一般人が彼女の個人的な発言に触れたり、絡んだりすることは一切できない。

ファンが唯一、生身の彼女に会える機会といえるライブでさえ、MCが一切なく、いつも「また遊びに来てね〜! バイバ〜イ!」の一言を残してステージ裏に消え去ってしまう。彼女のプライベート情報はファンクラブの会報や雑誌のインタビューなどで小出しにされる程度だっただけに、常に安室奈美恵はどこかミステリアスな存在だった。

しかしそれこそが、インターネットなどなかった昭和の時代に活躍した数々の歌姫に通ずるスター性であったし、この平成の情報化時代とのマッチングにより余計に安室奈美恵の存在価値は際立ったのだと感じている。

強く、美しく、ブレない

プライベートを語らないという点だけではなく、安室奈美恵は仕事においても常に「徹底していてブレない女性」という印象だ。

セルフプロデュースをはじめてからの彼女は、その時々で自分が良いと思ったものに次々にチャレンジしていく意思を貫いていく。中でもR&B、HIPHOPのジャンルで活躍するクリエイターたちとコラボしたプロジェクト「SUITE CHIC」に挑戦したのを機に、彼女の音楽性は圧倒的に洗練されたカッコよさをまとっていった。

当時海外で流行していたトラックやボーカルの手法をクリエイターたちからどんどん吸収し、”安室流”に表現していっていたし、歌詞の世界観も、世の男たちに振り回されることのない強く逞しい女性像を描いたものが増えていったのも、「安室奈美恵=カッコいい女性」というイメージを定着させた要因だろう。

日本におけるヒット曲の条件のひとつとして、「カラオケの定番になること」があるが、単純にヒットチャートを意識しなくなった安室奈美恵は、どんどん英語詞を多用し、幾重にもボーカルやコーラスを重ねていく曲作りを進めていった。

だが、その合間合間にテレビドラマのタイアップをつけたスタンダードなバラード曲「ALL FOR YOU」や「Love Story」、ポジティブなミディアムナンバー「Baby Don’t Cry」をヒットさせ、新たな世代のファンを獲得していくあたり、安室奈美恵はプロデューサーとしての手腕も発揮していたように思う。

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