なぜ日本の天皇は125代も続いてきたのか

織田信長もGHQも倒そうとしなかった

天皇号の始まりは、飛鳥時代(=古墳時代終末期)です。672年の壬申の乱に勝利した大海人皇子が、従来の「大王」にかわり天武「天皇」と称し即位しました。大王は、ヤマト政権内の「王」である各豪族のリーダー的存在だったのに対し、天皇はその次元を超えた“別格の存在”です。

当時の天武天皇や、妻の持統天皇は強大な権力者で、皇子(親王)たちが補佐をし、自ら政治を執り行っていました(=皇親政治)。

奈良時代になると、天皇の下で「藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川」と、政権が目まぐるしく入れ替わり、最終的には藤原氏が最有力となります。しかし、あくまでもトップは天皇で、地位や権威は安泰でした。

平安時代に少し様子が変わります。858年、清和天皇が9歳で即位すると、母方の祖父である藤原良房が、幼少の天皇の政務を代行する「摂政」に就任しました。そして良房の養子基経は、884年に光孝天皇が55歳で就任すると、成人後の天皇を補佐する「関白」に初めて就任。これが「摂関政治」の始まりです。

天皇が処世術として長けていたのは、摂関政治が始まると、母方の親戚(=外戚)である藤原氏に、政務だけを任せた点です。形式的に権威は保った状態のままですから、悪い話ではありません。

一方、藤原氏も天皇を排除して名実ともにトップに立とうとは考えませんでした。圧倒的な権威(金メダル)を持つ天皇の外戚として、政務を代行・補佐しているからこそ摂政や関白に価値があり、転じて自らの権威付け(銀メダル)もできます。天皇の価値をあえて下げ、貴族の分際で暫定トップに立つことには、メリットがなかったのです。このようなスタンスで、11世紀前半の平安時代後期には、藤原道長・頼通親子により摂関政治は全盛期を迎えます。

このように、変化する政治状況を巧みに利用しながら、古代の天皇は自らの地位や権威をキープし続けたのです。

「摂関政治」「院政」と天皇

さて、平安時代末期、中世に突入すると、もと天皇により「院政」が始まります。外戚(=母方の父や伯父・叔父)として藤原氏の摂政・関白もいるのですが、父や祖父が皇位を退いたあとも新天皇の後ろ盾となり、政務をみることが常態化しました。

国民的アニメ『サザエさん』を例に、摂関政治と院政を説明してみましょう。

フグ田家のタラちゃんが天皇の場合、同居する磯野家の波平やカツオ(=母方の祖父や叔父)が摂政や関白を務めるのが摂関政治。磯野家が外戚の藤原氏にあたるわけです。一方の院政は、フグ田家すなわち皇室内の話です。もと天皇のマスオさんが新天皇のタラちゃんを擁し上皇として院政を敷くというイメージです。

院政は、新天皇に圧倒的な権威(金メダル)を引き継ぐ際、もと天皇がメダルを首にかけてあげ、そのまま抱っこしている感じ。藤原氏から反発を買うことはありませんでした。なぜなら、摂政・関白という地位(銀メダル)を取り上げなかったからです。貴族ナンバーワンという立場は保障されています。

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