「中国封じ込め」に転換か、西側新戦略の内実 ファーウェイCFO逮捕が示すもの
ある意味で中国の産業政策は見事である。開放路線によってアメリカはじめ先進国のサプライチェーンを誘致したうえで、国家の強い交渉力で技術ノウハウを吸収し、集積の利益でコストを下げる。巨大な国内市場を活用してデジタル世界でもアメリカを追撃する。重厚長大産業では世界市場を供給過剰にするのもいとわない。
この国家主導の運営は、西側が拠って立つ自由主義的な価値観とは大きな隔たりがある。自由経済の「自由」とは、消費者、投資家や事業家などの個人がおのおのの幸福を追求する自由だ。これに対し、中国では、資源配分に最終権限を有する政府が、指導者層によって定義された「偉大な国家」の実現を図る。
しかし、それが中国人を含む地球上の個々人の幸福と一致する保証はない。蓄積された富、技術、人材は、国家が対外的な攻勢や国内の統治にフルに活用する。西側からすれば、放置しておくと世界的に自由社会が侵食されていく不安が強まる。
政治的にせよ経済的にせよ、「自由」は、権力の自己抑制によって実現されるが、中国には選挙による統治者の国民選択、権力間のチェック・アンド・バランスの仕組みはない。したがって経済活動への国家の介入を制限するルールも手段も民間にはない。
これに加えて、アメリカには半導体やAIなどの戦略的な先端技術分野で中国に主導権を握られるという危機感も強い。そうなれば経済面のみならず軍事・外交面でも優位を掘り崩されかねない。
同じようなことは日本も経験済み
こうした危機感がアメリカに強い反応をもたらすことは、日本では経験済みだ。1980年代前半、レーガン政権の大幅減税により、アメリカの対日貿易赤字は拡大した。自動車、エレクトロニクス、半導体などの花形産業が日本企業に圧迫され、議会でも対日批判が渦巻いた。協議に終わらず、日本からの具体的成果を求める「結果志向型政策」が声高に提唱された。
ワシントンの政策専門家たちの中でもジェームズ・ファローズやクライド・プレストウィッツなど「4人組」と呼ばれた論者がリードする「日本異質論」が台頭した。自由貿易の原則を逸脱して輸出自主規制(日本車)や、輸入数値目標(アメリカ製半導体)を日本政府に要求した(こうした過程はJohn Kunkel 2003 “America’s Trade Policy Towards Japan”に詳しい)。
ブッシュ(父)政権では、それまで政府内で「抑え役」に回っていたアメリカ財務省などが今度は中心となり、「日米構造協議」を迫った。公共投資の拡大や流通規制の緩和、独禁法強化など、要求は日本の国内改革にまで及んだ。1993年に発足したクリントン政権では日本異質論者が政策中枢に座った。
1980年代初めに筆者が入省した通産省(当時)は、アメリカとの紛争の真っただ中にいた。対日制裁を求めてアメリカ企業が訴えを起こしたため、過去の政策を徹夜で調べた記憶もある。訪れたアメリカの学者が産業政策を徹底的に調査するのにも付き合った。系列関係をはじめとするあらゆる市場慣行が批判の的となり、テクノポリスなどの地域振興策でさえ、不公正な産業補助ではないかと疑われた。
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