日産の「日本軽視」を生んだゴーン采配の中身 就任初期は新型車をバンバン投入していたが

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そしてゴーンが就任した後の2000年代と今では、日産の国内市場に対する取り組み方も随分と違っている。

2000年代は、新型車の国内発売が活発だった。ゴーンが日産に訪れてから商品開発が本格化した車種だけでも、初代「ティーダ」&同「ラティオ」(2004年)、初代「フーガ」(2004年)、初代「ムラーノ」(2004年)、初代「ノート」(2005年)、2代目「ブルーバードシルフィ」(2005年)、3代目「ウイングロード」(2005年)、3代目「セレナ」(2005年)、12代目「スカイライン」(2006年)、初代「デュアリス」(2007年)、現行「GT-R」(2007年)などがある。

初代「モコ」(2002年)はスズキ製MRワゴンをベースに開発したOEM車だが、軽自動車の販売増加を背景に、日産では初めてこのカテゴリーに乗り出した。

車種の開発に深くかかわっていたゴーン氏

ゴーンは、これらの車種の開発に深くかかわった。「日産が軽自動車を売る」というモコの商品化は、日産内部からは生まれえない発想だ。当時はまだ「軽自動車は低価格で簡素なクルマ」という認識が残り、日産には変化を好まない官僚体質も残っていたからだ。

セレナなどはもともと人気のミニバンだから、ゴーンが開発を指揮したとは言い切れないが、ティーダをはじめとする一連の初代モデルには影響を与えている。

特にクルマの売れ行きは外観のデザインで決まるから、開発段階では、ゴーンが候補に挙がっている複数のクレイモデル(粘土で造られた原寸大の模型)を審査した。そして「このモデルでいこう」と自ら外観デザインの結論を出していた。

つまりこの時代のゴーンは、国内市場でも日産を牽引して、業績を回復に導いている。そのために2007年ごろまでの日産の国内販売台数は、トヨタには大差を付けられたものの、国内で2位の地位を守っていた。それが2008年以降になると、しだいに順位を下げ始める。

販売ランキング順位を下降させたいちばんの理由は、新型車の発売が減り始めたことだ。特にリーマンショックの影響で2009年ごろから業績が悪化すると、日産はほかのメーカー以上に海外指向を強めた。2011年以降、国内では新型車の発売が急減している。

その結果、現在国内で売られている「マーチ」「キューブ」「エルグランド」「ジューク」「フーガ」「フェレディZ」、GT-Rは、すべて2010年末までに発売されている。今では8年以上を経た基本設計の古い車種が増えてしまった。

近年、日産が国内で発売した新型車を見ると(OEM車を除く)、2014年2月に「デイズルークス」が発売された後の新型車は、2016年8月の「セレナ」、2017年10月の「リーフ」で、2018年には新型車がまったくない。要は新型車が1~2年に1車種しか発売されていない。この国内市場に冷淡な判断を下したのもゴーンだ。

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