33歳母「自傷、DV、離婚」経てやっと得た幸せ 壮絶すぎる人生「今の自分は子どもがすべて」

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「動いたら、もう堕ろせないなと思いました。でも、それでもやっぱり育てていく自信はなくて、毎日『産む前に自殺するか、産んでから自殺するか、どちらにしよう』と死ぬことばかり考えていました。生活はめちゃくちゃでしたから、死んで終わらすことに未練はなかったです。

でもお腹の中で子どもが育っていくにつれて、だんだん考え方が変わってきました。子どもがとてもかわいくて大事に思えました。自分も死にたくないと思いました。たぶん母親になっていったんでしょうね」

つまり子どもができて変わったのは、夫ではなく三田さん自身だったのだ。

飲めない薬が増えたことも変われたきっかけ

子どもができて人としての心構えが変わったというのはもちろんある。それに加えて、子どもができたため飲めない薬が増えたというのも大きかった。

「精神科で『これとこれは奇形児になる可能性があるからやめましょう』と言われて薬を徐々に減らしていきました。片手一杯くらい飲んでいた薬が2~3錠まで減りました。薬の離脱症状(服薬を止めた時、苦痛を感じる症状)はひどかったですけどなんとか我慢しました」

妊娠8カ月の時に、夫が起こした事件のせいで自宅が警察により家宅捜索された。三田さんも厳しく事情聴取された。結果、潔白であることは証明できたが、それでも強いストレスを感じた。

犯罪者を父親として産まれてくる子供が不憫になった。拘置所に入っている夫に、弁護士を通して離婚申し立てをした。無事、離婚することができ、そしてその後出産した。

「出産後、自分が夫の連帯保証人になっていたのを知りました。知らぬ間に1000万円くらいの借金を背負っていました。母親も無断で300万円ほどクレジットカードを使い込まれていました。

でも最後まで夫が何にお金を使っていたのかわかりませんでした。夫の机からはメード喫茶のチェキ(女の子と撮った写真)が大量に出てきましたけど、それだけで何百万円も使ったとは思えないですよね……」

結局、今後のことを考えて自己破産をした。現在でもクレジットカードは使えないし、携帯電話の契約も制限がある。

ただ家族一丸となって苦難を乗り越えた結果、祖父母や母との間のわだかまりは消えていた。

それまでは別居していた母親と同居し、子どもを育てていくことに決めた。

母子家庭で子どもを育てていくには、家族を支える収入が必要だ。

「出産後短い間だけ、会社員として働いたんです。ただ、それだと全然子どもの面倒を見ることができなかったんです。子どもを放置しては本末転倒なので、会社員になるのはあきらめました」

精神障害者であることは仕事を探すうえであまりデメリットにはならなかった。区から助成金が出る場合もあるため優先的に働ける職場もある。ただし、リストカットの跡と入れ墨は嫌われた。

「働かれている方やお客さまが不愉快な気持ちになるので雇えません」

とはっきり言われることも多かった。

やっと見つかったバイトも、スナックのママがとても横暴だったり、働きはじめてすぐに潰れてしまったりと、うまくいかないこともあった。

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